この病気は遺伝性によるものは難病指定されていますが、

自分がここまで苦しんだ職業性においては、まだ難病指定にされていないのが現状です。
後に触れますが、診断にすら非常に長い時間を必要としたこの病気が、なぜ難病指定にされていないのか?

この疑問に対する答えになるのかはわかりませんが、
なるべく広く自分の知る限りの知識・体験を踏まえて、この病気の恐ろしさや対策を今は伝えたいと思っています。
また、今回「完治」と言わず、あえて「克服」という表現をさせてもらった理由は、自分のこれまでの軌跡と共に後に述べる事と致します。


一番最初に異変に気付いたのはスネアドラムに刻まれた打痕の位置でした。
元々真ん中に集中していた筈の打痕が自分から見て右下に集中し始めていて、
機材を取材して貰ったドラムマガジンの誌面で客観的に見て初めて疑問を抱いたのです。
しかしスネアドラムの音色や音抜けに自信があった為、身体が勝手にあの音色を出す為に覚えた経験値の証だと慢心していました。
そう、自覚の無いうちに刻々とフォームは崩れていたのです。


それから次々に自分に出てきた症状は、腕が捻れる、指が硬直して手首も妙な角度で固まる。
力が全く抜けない。
力が抜けないからその影響で指、手首、肘、それぞれが独立して動かない。
ドラミングで左腕を使うと痛みは常に伴い、部位が動かない腕自体を無理矢理動かすから筋痙攣を起こし

その度に腱鞘炎になるというものでした。
いつ筋肉断裂してもおかしくない状態だったようです。


捻れると言う症状は上から下にスティックを振ろうと思うと打点に到達するまでに何故か掌が上向きになる。
上向きになるからスティックをホールドするのが困難になる。
更にスティックが飛ばないようにするから力んだまま力が一切抜けない。
レギュラーグリップにシフトしてみたら最初はもしかしてこれに逃げられるかもと一瞬安堵するが、
これが更に症状を悪化させ、二度とフレンチやジャーマングリップに戻れなくなる。


やがて今迄簡単に出来たフレーズやパターンがどんどん出来なくなる。
40代にもなるとそれを劣化と判断して、また闇雲に練習を重ねてどんどん悪化していく。
反復練習を要する楽器奏者にとって、これをする事が一番命取りだという事が一番恐ろしいかもしれません。


案の定ダブルストロークが出来なくなりパラディドルも出来なくなりアクセント移動すら出来なくなり、
最終的にシングルストロークの粒さえ揃わなくなりました。
普通のエイトビートを叩く時でさえ捻れと痛みとの戦いでショットも全然安定しない状態。


やればやる程、積み重ねて来た技術は剥げ落ちていき

武装して戦地に向かい着くまでに持っていた武器は無くなっていき

最後は一つも無くなる感覚、、、
戦地に着いた時は丸裸で立っている状態。


ジストニアと言う病名も今よりマイナーで何が自分の身体に起こってるのか理解できず、

とにかく腕だからと数々の整形外科を転々とする日々。
紹介状を貰い腕の権威の先生に診て貰って診察二秒でわからないと言われ、腕のMRIも撮りそれでも解らず、
何処が患部なのかも解らないまま、レーザーをあてたり電気治療したり針を打ったり気功術をして貰ったりしていました。


あるライブでは動かない左手を意識し過ぎる影響から

身体全体のバランスが崩れてしまったのか全身筋痙攣を起こし、ライブが中断する事もありました。
「全然楽しくなかった。プロとしてきちんと体調整えてステージに立つべきなのでは?」と辛辣なメッセージを頂いた事がありました


その通りです、、、


とにかく何が何なのか解らないまま数年が経ちどんどん人前に立つ、ステージに立つ事が怖くなっていきました。
ドラムを叩く事が人より秀でた唯一の宝の筈がドラムを叩く事が一番恐怖で憂鬱な事になってしまっていった。
スケジュールからライブの予定を少しずつ消していきました。


最終的にはドラムセットに座るだけで緊張が全身に走り左手どころか身体が動かない所まで来てしまった、、、
何回も絶望してドラムを辞めようと考えてました。ドラマーとしての死ならば自らの死と同じ事、、、
そこまで追い込まれて全てに絶望し限界だと感じていたドン底の時にある医師のボソッと言った
「ジストニアかもねぇ、、、」の一言で始めてその病名を知りました。


紹介先は脳神経内科。
筋電図が置いてある大学病院に行く事を薦められました。
そこで表面筋電図の検査を受け、やっとミュージシャンズハンド=局所性ジストニアと診断されました。
診断された時に落胆や絶望はありませんでした。とにかく原因が分かったのです。
自分はジストニアと言う病気。だったら治せばいいんだと。
不思議な物で何がなんだか解らない恐怖の時間が長過ぎて病名をようやく付けてくれた事が嬉しかったのです。
ここからまた長い戦いの始まりだったのですが、、、その時点ではようやく敵の正体が解った喜びの方が勝ってました。


そこからはS大学病院のY先生との二人三脚が始まりました。
外科手術によって回復した例もありますがその後、回復に至る率は100%ではなく、
リスキーな印象も強く自分は年齢の不安もあり内服とリハビリと練習でこの病に挑む事にしました。
それから先生と相談しながら手探りですが様々な事をやり尽くしました。


先生と掲げたテーマほ勿論『脱力』です。


スティックを握らない日常生活でも左手は常に震え、硬直は止まらず、
静止していても筋肉を司る神経は常にフル稼動しながら誤作動を起こしていてずっと力が抜けない状態が続きました。
食事をする時も茶碗を軽く持つ事すら困難でした。茶碗を握り潰してしまうのではと思うくらい力が抜けないのです。
握り拳を解く事ができずに少しでも爪が伸びていたら自分の爪で掌を傷つけてしまうのはザラにある事でした。


症状は個人差があるようで、日常生活においては問題なく生活出来ているのにその楽器をプレイする時や、
喉のジストニアだと歌う時だけ発症するケースが多いみたいですが
完全に日常生活に支障を来たす状態はどうやらジストニアの中でも自分は重度だったようです。


単に言うと、脳の命令に反して違う動きをするのがこのジストニアの正体です。


脱力を取り戻す為に水泳を始めたり、昔乗ってたマニュアルのバイクで左手に半クラッチの感覚を思い出させたり、
指、手首、肘ではなく肩甲骨から腕を動かすイメージを得る為にボクシングを取り入れたりとやる事は多岐に渡りました。
様々な筋力がドラムを叩く際に助けてくれるのではと、今迄した事のない筋トレも始めたりもしました。


これらにはドラムから意識を意図的に離す目的もありました。
ドラムの為に自発的に始めた事ですが、続けていくうちに意識がドラムから離れてもっとスムーズに泳ぎたいとかそれぞれを楽しむようになりました。
ドラムや左手ばかりに集中し過ぎるとマイナス思考だけになってしまいがちだったのでこれは大いなるポイントだった気がします。
車を運転したり洗車したりする時はドラムから意識が遠のいて精神が穏やかになった気がしました。
実際にジストニア患者はまずその楽器等や環境から離れる事を薦められるそうです。


ずっと夜型の生活を送ってきましたが薬を必ず朝昼晩に飲む為に朝型の生活に切りかえました。
薬の副作用は想像を絶するキツさでどうやらこれに耐えられずに治療をやめてしまう人が多いようです。
初期は効果より副作用の方が強いので、、、しかしこの副作用と効果が逆転する瞬間が必ず訪れるのです。
なので薬に関してもこれで症状が緩和するなら、治るのならと副作用がキツくても耐えました。


これは自分が決して心が強いからという訳ではありません。
根性やら気合いやらでどうにかなる事ではないのです。
おそらく原因がわからない時間が長過ぎたのが自分には良かったのかもしれません。あの時よりはマシと。


薬による副作用が効果に変わり始めたタイミングで指の硬直や筋肉の緊張を更に抑えるためにボトックス注射も何度か射ちました。
しかし中指だけドスンと落ちて上がらなくなり元に戻るまで時間がかかったりしたりして自分にはどうやら合わなかったようで、
様々な治療法に一喜一憂しました。


そしてこの病は身体だけではなく精神的に深く侵攻してきます。
一度この病気によって経験した失敗や苦痛は頭に焼き付いて離れなくなり、やがて大きな恐怖に変わります。
またあんな事が起きるのでは?そう思い出すと卑屈になり自信を根こそぎさらっていきます。
身体も萎縮し心も萎縮していってしまう、、、


そして、その先にある最大の侵食は孤独です。
何故自分だけこんな目に!と決して思ってはいけないのにどうしてもそう思ってしまうのです。
それに加え被害妄想は止まらず、殆んどの人が知らない筈なのに皆が俺の左手を見て笑ってるのではないか?
あいつ下手だな大したことないなと誰もがあざ笑ってるのではないか?と。
少しずつ回復してきた時期でさえ事情を知ってる数少ない人達に対しても自分自身は全てが違和感であり痛みも伴うのだが、
これが他人には全く伝わらない。仮病じゃね?要は病気じゃなくてメンタルが弱いだけなんじゃね?と思われてるような気がしてならない、、、


身体的に一番恐ろしいのは自分が今迄どうやって叩いていたのかどんどん解らなくなり、
それを模索する毎に付いてゆく悪癖だけが上塗りされていく事でした。
連続運動に対しての耐久性が酷い時は本当にゼロで、それを勢いで遂行すると積み重ねたリハビリの成果は瞬く間にマイナスになるのです。


表舞台を避けると沢山の人が去りました。
自分から避けるから当然と言えば当然です。
事情を、病状を何度も何回も話してもこの病に対して全く本質を理解してくれない人もいました。
やはり何年来の付き合いだろうが、どんな病でも、当事者でない限り理解して貰えないものなんだなと痛感しました。
残念だけど、どれも受け止めないといけない現実でした。


その中でこの状況を理解してくれる人も居てこの人達には本当に感謝の一言に尽きます。
こうしてまだ首の皮一枚でプロドラマー、プロミュージシャンとして居られるのはこの人達のお陰です。
ドラムを叩く以外の音楽制作の仕事を振ってくれたり、すっかり自信を失った自分にリハビリだと思っていいからと

匿名Recをさせてくれたり、
事情を知ってもその時点で出来るベストでやってくれればOKだとライブで叩く機会を与えてくれたりと、、、


今孤独を感じてる貴方の周りにも必ずそんな人が居る筈です。


いつから闘病生活が始まったのか断定は出来ませんが、この間に遂行したライブでは黒いグローブをして、
黒いギググリップと言う特殊なゴムをスティックに付けて指にそのゴムを引っ掛けてプレイして、
更にスティックにもラバーの滑り止めを巻いて完全武装でやっていました。
指が硬直して特殊ゴムで引っかけてもどうしようもない時は黒いガムテープでスティックとグローブを貼り付けてプレイした時もあります。
自分は黒く、先端が白いスティックを使用する為、左だけよく似たAHEADと言うアルミスティックを使ってました。
このスティックは折れても一曲くらいは続行可能なので、万が一途中で折れてもプレイ続行が出来るようにしてました。
使える道具は全部使ってました。


一つの目安としてこの武装を全部不用になった時に克服と言っていいかもしれないと。
そして直近のライブでようやく武装を全部取っ払って素手で一本通して出来たのでこの報告を決断しました。


何よりも本当にドラムを叩いてて楽しかった、、、こんな事は何年ぶりだった事か、、、


完治はしていません。
何をもって完治と呼べば良いのか非常に解りにくい病気なのです。
自分だけが感じる違和感はまだまだあるし、未だ左手が硬直したり自分の意思とは違う動きをしようとして制御したりする場面もあります。
テクニカル面でもまだまだ出来ない事も多いです。
しかし最悪だった頃に比べると雲泥の差です。
ここまで来たらバレるバレないとかの思考は邪魔でしかないと思えるようになりました。


ジストニアという病気を受け入れて自分の中でようやく折り合いがついたと言うのが一番妥当かもしれません。
完治はしていないし、これから先しないかもしれませんがここまで回復したら頑なに隠さなくてもいいかなと。
頑なに隠す事がこれからはストレスに繋がるかもしれない、最早ジストニアを含めてそれが自分なんだと。
プレイスタイルもジストニア前より変わったと思います。


完治ならば薬はもう必要ない筈ですが未だに薬は朝昼晩と飲んでいます。初期から飲んでる強い薬もまだ服用しています。
今はもう副作用は一切感じません。
薬の作用に影響するので酒も止めました。
酒は好きな方でしたがそれよりもドラムを楽しく叩きたい一心の方が大事です。
そう、、、だからこそ完治ではなく克服なのです。


ドラマーとして、とても大切で大事な40代をゴッソリとこのジストニアによって奪われてしまいましたが、
リハビリの過程でやり始めた水泳やボクシングや車やバイク等は結果論として無趣味でドラム一本でやって来た自分にとって、
素晴らしき趣味として人生を豊かにしてくれたのかもしれないと思えるようにもなりました。
これはジストニアにならなければ得られなかった事なのでジストニアも悪い事ばかりではないなと。


なので自分がどんな薬を飲んでどんなリハビリや練習、メンタルコントロール等をやってきたか、
ドラム以外のパートの方でも自分だからこそ発信できる事、更に細かく教えてあげられる事は多いのではないかと思っています。
この病気に苦しんでる人で、何かしら悩みを持っているなら自分に聞いてください。
何か力にはなれると思います。


連絡ください。
snakepitshue@yahoo.co.jp


この病気はとても恐ろしいですが必ず勝てます。


酒井 愁


 

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