情報発信に対する有益性について考える | 雑草生え放題 

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昨日の記事とは全く逆の考え方になりましょうか。


個人による情報発信によって、それまでは目にすることが難しかった資料を多くの人に公開することができるようになりました。

ただ、その持ち主が残念ながら逝去されたりすることなどの事情により、その分野では貴重と思われるものであっても周囲の方が事情を知らないために散逸してしまう、あるいは火災や災害などで失われるといった事態は避けられないことなのかもしれません。


何らかのやむを得ない理由によって元資料が消失したり、個人が作成したwebサイト(ブログなども含む)が更新されなくなる、あるいは閉鎖・削除されてしまうことにより、貴重な資料が失われてしまう、見ることができなくなるのはその分野にとって非常に残念なことです。


しかし、昨日の私の考え方を転換すれば、ネット上に掲載した文書や写真は、ネット上のどかに残ってくれ続けることとなるのではないでしょうか。個人ブログなどのような簡単なものでも、一応クラウド保管のような状態にできるし、キャッシュによる拡散も、企業のデータセンターを複数の遠隔地に置く分散管理で消失リスクを免れるような形に近いものと言えそうです。


そういう意味では、コンテンツの無断転載などは決して認めらることではありませんが必要悪なのかもしれません。誰もが著作権などについてきちんと認識し、適正な利用をすればその趣味分野、あるいは業界全体にとっても貴重な資料群ができあがるのではないでしょうか。今はデジタルカメラやインターネットの普及によって、手持ちの物体でも建物でも自然でも映像として公開し、残すことが簡単にできるようになりました。あまり深く考えずに作った私のブログやwebサイトに掲載した写真も、いつかそんな貴重な資料として後生に残るのでしょうか。


今は何とも思わない日常の記録も、数十年後は見られなくなるかも。乗り物に限らずあらゆる記録が。

こういう考え方も、情報を、そして記憶を消失させないための危機管理と言えるのではないでしょうか。




東日本大震災から、今日で2年。