宮塚山登山を終え、大量に植えられている椿の木々を抜けて集落まで戻ってきました。
島の8割を占める椿。
一説には20万本も植えられているんだとか。
現在時刻は12:10。
出港の時間まであと30分しかありません。
大石山遺跡に来ました。
本来ならば港にいるべき時間だけれど、どうも名残惜しい気持ちが足を違う方へと向かせます。
ここで縄文時代の住居跡が発見されたらしい。
発掘調査がひと段落したのか一昨年の夏に「大石山・遺跡の丘オープン!」と告知がなされていました。
現地に黒曜石や土器が雨ざらしの状態で置かれていたんだけど、こんなんでいいのか…?
時計をチラチラ見ながら港方面へと歩き始めます。
最後の寄り道スポットは島内唯一のビーチ。
おそらく見るからに隣の新島から持ってきた砂で作ったんだろうなぁ、と。
3月なので流石の島キッズも泳いでいませんでした。
なんやかんやで出港15分前。
ビーチと港は歩いて2〜3分なので実は悠々と間に合います。
島が小さく、スポット同士の距離が近いのでこれだけのんびりしているわけです。
所定の時刻より10分ほど遅れて、あの白い船体が姿を現しました。
晴れた空ときれいな海に映えまくり。
まだデビュー3年目の新米くんなのに代船として八丈島行ったり、小笠原まで駆り出されたり大活躍の"さるびあ丸"。
この船で小笠原まで行くと片道29時間かかります。
かの有名な"はかた号"が可愛く見えてくるレベル。
利島からは約30人が乗船。
貨物の積み下ろしが終わると、遂に出港です。
たった5時間しか居られなかったけれど、
慌ただしさも取りこぼしもなく、ちょーど良い滞在でした。
利島のサイズ感だから出来たんだろうなぁ。
日帰りだったので、これまでの東京島めぐりで最もお安く済みました。
かかった費用は船の往復運賃12000円と、お土産代・細々とした飲み物代くらい。
島内の飲食店が全て閉まっていたので、昼食は船の中でいただきます。
太平洋を眺めながらのビーフカレー。
往路はほぼ寝ていただけなので、ここで急に"船旅感"を取り返しにきたかのよう。
復路も特2等寝台を利用します。
なんとガラガラで向かい側も、隣の区画も、その隣も空席。
一方で雑魚寝カーペット席は賑わっていたので、昼行便はそっちに流れる経過があるんかな。
1時間ほどで伊豆大島に到着。
年度末は島を離れる人が多いようで、盛大なお見送りの現場に立ち会えました。
大島では20分停まるので、紙テープをスタンバイする様子など興味深いものを見られました。
マンガとかで紙テープでお別れをするシーンはあるけれど、こう実際に目の当たりにするとグッとくるものがあるね。
大島を出た我々は一直線に東京を目指します。
帰りの海も穏やかで酔い止めを飲まずとも健康な船旅を過ごせます。
過去何回かの島旅帰りでは、大島を出ると寝台に戻って昼寝をするのがテッパン。
しかし今回ばかりは青い海を前に、なかなか離れられません。
おそらくは日帰りだったので、心ゆくまでキレイな海を堪能し切れていないからなのかな。
寝て起きたら東京の汚い海が広がっていると思うと、どうにも昼寝するのが勿体なく思えてくる。
結局寝台へと引き上げたのは館山を過ぎて、富津に差し掛かろうとする辺り。
目が覚めたらすっかり東京の夜景が広がっていました。
荷物をまとめている間にレインボーブリッジを通過し、時刻通りに東京港に着いてしまいました。
竹芝から浜松町へ至る道を歩くと、毎度毎度人の多さに驚くのまでが定番のコース。
そのまま浜松町で本土メシ a.k.a 大盛りつけ麺。
麺をすすりながら早くも次回の東京島めぐりについて軽く会議。
これで残すは大島・青ヶ島・母島の3つ。
「大島なんていつでも行けるわw」と言うてたら最後の方まで残ってしまいました。
大江戸線で新宿へ移動。
なんとなく帰る気になれず、コーヒー買ってひとやすみ。
絶えず大量の人が行き交う光景を見ていると、ついさっきまで利島にいたという実感が薄れていきます。
きっとこれが都会という所なんだろうと、おセンチになりながら満員の快速急行に詰め込まれて帰宅しました。
完。