乳がんを良く知り、前向きに,生きよう
がんを体験して学んだこと
こんにちは。
乳がんを体験。その体験を生かし、情報、医療の受け方 がんのイメージ 早期発見 早期治療に役立つ、そして 元気に生活することを目標に、分かりやすくお伝えします。
乳がんは、日本女性の悪性腫瘍にかかる人の割合が、,第1位です。
しかし、乳がんは、早期発見と適切な治療法を選ぶことで完治の可能性が高く、命を、守ることができる病気になってきたということです。
欧米では、7人に一人。日本では20人に一人が乳がんにかかる時代です
2004年には16人に一人と推計。
40代後半から50代がピークだそうです。その後80代まで発生率は高いまま推移しています。
だから、乳がんをよく知ってもらいたい。
まさか、こんなに高い割合、しかも若い世代が高い事に驚きました。詳しく、少しずつお伝えしていきたいと思います。
青のグラフが2003年。赤のグラフが1980年。上昇傾向にあるのがわかります。
(図1) (女性の年齢別、罹患率)
(図2) (発生部位)
外側の上部に発症する割合が半分近くを占め高くなっています。、次に内側の上部、外側の下部、内側の下部、乳頭部の順に発生率が高くなっています。良くチエックするポイントです。
実は、私は、18年以上も精密検査を受けていながら、「皆さーん、住民検診を受けましょう」と啓蒙啓発の仕事にかかわってきながら、当時、乳がんについてイメージも漠然としかわかりませんでした。
平成24年5月に告知を受け、体験をしてその重みで目が覚め、それからは、再度、本を読んだり、インターネットで調べたり、専門家に聞いたり
て知識を得てきました。それなりの仕事をして来ましたので、理解はでき
ましたので、乳がんの中により悪性度の高い、たちの悪いと言われているのがあることも知りました。
長い間、がんを探し続けて健診を受けて来て,やっと見つかったという気持ちです。どんなものなのか、興味があります。どんな形をしているのか見てみたい、そのような気持ちです。
人間の細胞は60兆個ぐらいあるそうですけれど、がん1つの大きさは1ミリの100分の1だそうです。その時は、その存在すらわからないという。1センチになってようやく見えてくるそうです。その時は、1億個だそうです。
どんながんが、どのようにして発見できたのか、乳房のどの部位から発生し、組織のどこから、どう広がったのか、4か月で2回の手術をうけた事。
なぜ、2回の手術が必要であったのか? どう回復したのか、今までの経過を、体験をしてからこそわかる事、女性だから感じる心の変化を、私も初めて知ることになった乳がんの事を、私の場合で考えてみます。
入院生活を体験して、ネガテブ思考の私が、前向きに生きることも余儀なくかんがえさせられました。
思考は自分でコントロールできる。ネガテブ思考からポジテブ、プラス思考に変えるのではなく、プラスの考ええを広げ比重を重くしていこうとおもいました。
コインには、表と裏がある。この考えを学んだことが思い浮かびます。コインの表と裏、これはきりはなせないもの。同じように、心にもマイナスとプラスの思考がある。悲しい時にマイナス思考になり落ち込むのは自然なことかもしれない。でも落ち込んだ時、または、悔し時にプラスに考えるのは簡単なことではない、難しい。でもプラスにも考えられないわけではないと思う。
プラス思考になって、前向きに生きよう。
時間は、刻々と過ぎている。
苦しい時こそ前に出ろともいう。苦しいからこそ、真剣に考え、本も専門書ぐらいしか読んでいませんでしたが、文章も書こうとする気にもなりました。
(1)目次
1 .乳がんを体験。発見のきっかけ。
(住民健診、精密検診)
2 受診の仕方。医師とのやり取り。(前もって考えておく)
3・ ガンを告知されたとき。(医師には自分の体の状態を積極的に聞く)
4 、乳房の組織と乳がんの知識。
乳がんのタイプを知る。
がんの形・ガンのイメージ・ガンの広がり方と他の部位の広がり。
(転移)
がんのイメージをしながら、自己触診をする。(常識外になると思い
ますが、しこりを感じない、指で触れないがんがある事)
5 ・詳しい検査とは。(マンモグラフィー・エコー・マンモトミー・CT検査)
6 乳房温存手術か,全摘手術か。、判断と迷い、覚悟。手術後、がん
が残っている可能性がある場合の 判断。再手術するか。検討の仕
方。
7・ 乳房摘出手術を受けて、自信を失うか、心の動きはどうか。
8 ・手術後、腫瘍内科との連携。薬物療法。
9 ・初めての手術の不安。手術中の事。手術後の事。
10 ・リハビリテーション
11 ・ピンクリボンの活用。
12 ・乳房再建か補正下着の着用か。補正下着の利点。使い心地。安心感。
13 ・インターネットの活用。
知識がわかる。
専門医師がわかる。
14 ・退院に向けて。
15 ・栄養の取り方
16 医療安全支援センターの活用。
17 .家族の協力
18 仕事場の協力。
19 ・はつらつとした人生を送る。(マイナス思考よりプラス思考を広げ前向きに考える。)
20 今後の経過(これからの事、追ってお伝えします)
(2) 乳がんの体験。発見のきっかけ。
住民健診
今、住民健診率は、30-40%位でしょうか。昔と変わらず、なぜ、受ける人が多くならないのでしょうか。早期発見のためといわれますが、健診の浸透が低いのはなぜでしょうか。国民医療費の削減といろいろ言われていますが、これで医療費の削減になっているのでしょうか。
住民健診をしてくれた医師から言われました。たまたま再度受診したとき、精密検査の結果の 「お返事は?」と聞かれました。
私は、「お返事って?返事の通知はありません」と答えました。このやり取りで、そうよ、住民健診の結果、「精密検査が必要」の通知を頂いていながら、受診した専門医療機関からの返事がないのはおかしいわ。どうなっているのか、私は、この問題を再度受診しなければわからなかったし、大事なやり取りを、私が、「返事の通知がなくて済みません」、または、口頭で「こういう結果でした」と説明して終わらせてもいいのか悩みました。それでは、依然変わらない住民健診ではないか。
住民健診機関と専門医療機関が縦割りになってないかと疑問をもちました。
精密検査の結果の通知を持って、専門医療機関を受診した場合は、住民健診をしてくれた医師に、なんらかの形で、返事を出すシステムがあれば受診側は良く見てもらえるという信頼と、医療機関側は慎重にという相互の気持ちでより受診者には、メリットがあるのではないでしょうか。そして、それでは困る人には、拒否ができると、そんな、システムがあればと、無駄な事を考えたりします。
医療機関どうし、横とのネットワークの中から、早期発見に結びつき、回復率も上がり、しいては国民医療費の削減に結び付くのではないかと思ったりもしました。
去年は異常なかったのに今年はがんが手遅れだったということはないですか?、また、毎年、毎年健診を受けていて異常なかったのに、見つかった時には進んで見つかったという事ないですか?そういう話は、良くあることだと関係者から投げつけるように言われました。
そういう事が、よくあっていいのでしょうか?
住民健診機関と専門医療機関の横とのネットワークの中で、
充実した、魅力ある、信頼できる、早期発見に結び付く、受診者にメリットがある仕組みの、住民健診にならないかと素直な気持ちで思っています。
住民健診を受けっぱなし,精密検査をやりっぱなしの曖昧の今のやり方でいいなかな。、医療費が嵩み無駄になっていないか生意気で申し訳ありませんが感じ、書かせて頂きました。
やがては改革されていくものだとおもう。
発見のきっかけ
40代のころ、私は倦怠感(ひどい疲れ)を感じるようになりました。体の変調が始まり、何かが起こったきがしました。
がんかも?まず、保険にはいりました。
駅の階段の上り下りが疲れる、おっくう、今までは感じたことがない体力の衰え。年のせいか、更年期か、ストレスか色々原因を考え始めました。運動不足かと思い、体を動かす努力をしました。。また栄養のバランスが悪いのかと思い気をつけるようにしました。でも食べると太るという状況で、改善はありませんでした。
医療を受けようと考え、病院を受診しました。疲れではどこに行っても異常なし。検査を受けても疲れに結び付く疾患はない。でも疲れは、どんどん重くなって行く。
なんの病気でもいい、見つかってほしい。病院めぐりもエスカレート、これと思う科を受診していました。ドクターショッピングとだれに言われようとかまわないと思うようになっていました。これは、納得したいという私の性格によるものです。
疲れの症状は落ち込みにまで達していました。自然に、死を受け入れるような気持も生まれていました。
抑うつ状態かもしてない。内科で見つかった病気とともに、治療を始めました。でも疲れはどんどん重くなっていく。薬を飲んで、休養して、夜早く寝ても回復しませんでした。
そんな時でも、仕事となると気力はでました。仕事も5か所でやって、続けられていました。夜12時になることもありました。ストレスもありました。
そこで、住民健診を全部受けてみようと考えました。何かわかるかもしれない。この際、疲れているけれども頑張ってみようと自分を励まし、沢山の項目を受けました。全部かもしれない。
平成22年8月。そこで、乳がん検診で要精検になりました。お知らせという結果の通知をいただきました。
住民健診の要精検とはなにか?後で分かったことですが、カテゴリーという判断基準がある事がわかりました。
マンモグラフィ検査で撮影をしたフイルムをみて,腫瘍や石灰化、その他の異常をみるそうで、5段階の判定評価のうち、3以上が精密検査の対象になるそうです。
カテゴリー3とは、良性と思われるが、がんを否定できない段階だそうです。、
後で医師に聞いた事ですが、私の場合は、カテゴリー4か、「左乳房のUの部位に微細石灰化の疑い」と判定されているのがわかりました。
マンモグラフィ検査とか、Uとか、微細石灰化とは何か、追ってお伝えします。
そこで、18年以上も受けて来た病院を受診しました。平成22年9月のことでした。
主治医は代わっていました。診察の時、疲れの原因に結び付くことがわかるかもしれないと期待をしていました。乳房の今までの経過や症状をかなり訴えました。マンモグラフィ、エコー検査をうけました。
1か月後、結果を聞きに再度受診をしました。結果は、「異常なし」でした。なぜ、過去に水が溜まったりトラブルもあったのに異常なしで、私は不服がおこりました。医師は「じゃー、右に乳腺種の手術もうけていることだから、経過観察にしましょう」と言われました。私が一生懸命、症状を訴えたから気持ちを受け入れてそうしてくれたのでしょうか、どうなのでしょうか。妥協しました。左胸のここに違和感があるのに、でも高度専門医療機関のいう事だから、そうかっと思いました。一生懸命辛い症状を訴えたけれど経過観察か、指示どうり受診を続けました。22年、23年と2年が経過しました。
平成24年5月の事、予約の日が来たので受診をしました。主治医はまた代わっていました。
あまりに疲れの症状が強く辛い、22年、23年、受診して言い過ぎて診てもらえない失敗もたくさんあるし、前回は、訴えすぎたし、今度はどうしよう。受診の仕方を考えるようになりました。
今度は、まな板の鯉になろう。カルテもある事だから、私が言わなくてもカルテに書いてあることだから、医師に聞かれたことしか話さなくてもいいと思い診察を受ける事にしました。
まず、医師の触診を受けました。そこで「左乳房のがんです」とすぐに言われました。
簡単に告知をされた。やっぱり、そうだったのか。いや、そんなに簡単に告知してもいいのかな・・・・・・診察室のベッドの上で考えが交差しました。でも、これはただ事ではない。やっと頭の中が回転し我に返り、目が覚めたように次々に、医師に質問をしました。そして、前の2年間は何だっのか疑問もとっさに浮かびました。
まず、しこりもないのに、「どの部位ですか?」昨年は異常なしが、今年は「触診でどうしてわかるんですか?」「どう違うのか?」聞きました。医師の言う通り自分で触れてみました。他の部位との弾力の違いが確かにありました。少し硬い皮膚の表面。医師は、それですといいました。
では、がんはどこにあるのか?
私は、よく乳房の模型でこれががんです。触ってみてくださいと衛生教育を受けたことを思い出しながら・・・、
がんはしこりで見つかると思い込んでいて、自己触診では、しこりが触れないか気にかけてやっていました。しこりが触れなければ大丈夫と安心したりしました。思いもよらなかった、しこりの触れないがんがある事を知りました。
なぜしこりとして触れなかったのか、経過を追う中でわかりました。
がんを探していたものの、いざその時になるとおちこみました。見つかって、ほっとするとともに、これががんというもの?今までのイメージとはあまりにも違っていましってた。ショックも大きかったが、それとともに、疲れはこのためだったかもしれないとも感じました。
医師から組織をとらないと、がんは見えないと説明を受けました。
2年後、検査をしましょうと、医師が代わって言われました。やっと、より詳しい検査である精密検査にたどりつきました。結果的に、住民健診と高度専門医療機関との2本立ての受診。長ーい長ーい道程でした。
(3)精密検査
体調が悪いから、どんな辛い検査も受け入れられました。検査も痛く感じませんでした。
まず、マンモグラフィー検査から、
乳房X線装置。乳房を撮影台に載せ、圧迫板のプラスチックが乳房を押し圧迫し、撮影する。お餅を延ばすように薄くなる状態で撮影。少し痛いががまんはできる。乳房の中の組織の状態がわかる。
このフイルムを医師が見て判断する。微細石灰化があるといわれた。微細石灰化とは?それがどこにあるのか?
がん細胞の死んだ細胞が乳腺内に剥がれ落ちてカルシウムがついて白い微小な塊としてフイルムに写る。がんの死骸。それが、微細石灰化。その近くの細胞には、生きているがん細胞があるかもしれない。近くとはどこか?
その疑いは、左乳房のUの部位から始まった。がんとの長い旅の始まりとなりました。
がん細胞は、3か月で1かい分裂するという。
1つのがん細胞が1センチになるのに15年かかる。1センチのがんが2センチと倍になるには2年もかからないという。1年5か月という。
2年に1回は、検診を受けましょうと、啓蒙されていますが、それで大丈夫でしょうか?
領域(部位)について
(1)平成22年8月の微細石灰化、(住民健診でUの部位のがんの疑いと診断)。専門語です。後で分かりやすく説明します。
(図3) 横からのマンモグラフィーの図
(2)平成22年9月、23年の微細石(どう診断されていたかあとでわかりまし た)
(3)平成24年5月の微細石灰化 がん(経過観察の2年後には、がんはどこまでひろがったか(U, M ,Sの部位に広がっていた。,)
エコー検査
エコー検査は乳房に探触子を当て、超音波が乳房の中を進んでいき,固いものに当たると反射。反射した超音波を受信し画像データしたもので、小さいがんそのものは写らないという。触診ではふれなかったが、がんは、エコー検査では、低エコー域(腫瘤、しこり)として写っていました。
そして、マンモトーム検査に進みました。
マンモトーム検査というもの。
18年も不安の中、精密検査を受けていながら、不思議なことに私は、初めて受ける検査です。
がんがわかる。がんがどうなっているか?疲れが取れるのか?期待が膨らみました。
検査室に行くと5人位の患者さんが待っていました。一人一人検査室に入り、一人、30分位で出てきます。特に痛そうな顔もしていません。どうしてなのかな。
私の番が来ました。検査室に入り局所麻酔の注射が打たれました。ベッドに仰向けに寝ました。胸に探触子が当てられ、医師がモニターで見ていて、太い針が胸に刺され、針はしこりの部分に狙いを定め突き進みます。
「乳腺腫瘍画像ガイド下吸引術」
そこだーという数人のかけ声とともにイッセイに組織が、針の先から吸い込まれるようにとられます。2か所とられた気がしました。終わると圧迫包帯が胸から背中からぐるぐる巻かれます。痛そうな器具、検査、私の姿もいたいたしい。でも、麻酔のせいで痛くはなかった。
(図4)
検査室を出て、そして、椅子に座って様子をみます。20分位か、しばらくすると、体の変化を感じました。
あの悩まされ続けられていた辛い強い疲れが取れてきたように、強い疲れの感覚が薄らいできました。こんなにすぐに変化があるのか疑問にも思いました。しかし、今では強い疲れの表現はできませんがあえて言えば、踏みとどまれる、生き返った、普通の疲れと感じると言えるのか。
マンモトーム検査で、指では感じなかった悪いしこりの一部が、とれたのかもしれないとほっとしました。
マンモトーム検査
(写真)
(図5)
次の診察の時、医師からこういわれました。
がん細胞はありました。カテゴリーは5、非浸潤であるが、非浸潤か浸潤かは、手術をしてみないとわからないとのことでした。
多くの患者さんが手術を待っているようで、7月に手術の予約が入りました。診断を受けてから、2か月後になります。
非浸潤と浸潤とは何か?
その間にMRI検査をうけました。
MRI検査とは
MRI検査のフイルムを見て医師が手術の範囲を決めたりするのにもちいるそうです。良性の石灰化は写らないという。
まずは、検査室の前で、造影剤の注射を腕に受ける。
検査中は強い磁場が発生するので金属類、アクセサリー、時計などは外して入る。私は、うっかりと腕時計をつけたままはいって、注意され気が付いて外して入りなおした。
器械のの上にうつぶせでねる。撮影が始まるとおおきなゴウゴウとかザワザワとかいろいろな音が聞こえた。何の音だろう想像しているうち不安なくおわった。
入院
初めての入院。病室に案内された。病室に入ったとき目が点になったように一瞬病室の入り口で踏みとどまり、病室の中を見渡した。ベージュの壁、グリーンのカーテン、白いベッド、ここでの生活が始まるのか。案内してくれた人が、どうしましたと聞いた。いいえ何もありませんと言いつつ、緊張と不安の気持ちでした。夜にはトイレに何回行ったか数え切れません。
問診の時、「私は去年は異常がなかっつたのに」と、口走ったことが、「そんなことは良くある事」と怒りをこめて言われた。さすがに強い結び付き。、当然と思う。正直に言ってはいけないことを私はいってしまい、覆水盆返らず、これからの、入院生活を居心地はどうなのか?私が言い過ぎたかもしれないと反省をした。また、そんな態度をされたので、不安はのこった。
手術前日、医師から今の体の状態や手術の方法など説明を受けました。
医師の説明、アドバイス、ヒントなどから、自分で手術の方法を選択するのだと感じた。自己決定。乳房温存にするか、全摘にするのか。私の選んだ方法は。
医師の説明は、
昨年の石灰化より、数が増えている。形も色々な形。石灰化は変質している。成長し、乳がんの中でダメになった部分(石灰化)と生きている部分があるだろうと、マンモトーム検査をした。顕微鏡で見て、乳がんと診断した。
私は「昨年、マンモトーム検査をしていれば、どうでしたか」と聞くと「エコー検査でも不均一になっている。乳腺は目に見えない細い管。管の中にいるのが非浸潤がん。浸潤がんは、管の外に出てしこりとなってわかる。」
(図6)
後の図で分かると思います。
「MRI検査で広がりは広い。がんを温存手術で切除して、ちょっと残った場合は、放射線療法をする。
結構広がりはある。追加してとったほうがいい。乳頭の近くまである。
乳頭の直下まで手術する」
私は、今回の手術どころでは内心なかった。昨年の事をまず整理しなくてはというおもいであった。
私は「昨年は、石灰化の説明もなかった。マンモトーム検査をうけていればどうなったですか。」ときく。
医師は「昨年はがんはあったとおもう。マンモーム検査をしておけばよかったという。当時、本当に医師の勧め、せつめいがあればよかったとおもう。その時、なぜしなかったのか、後からわかった。
。医師の診断は、絶対正しく認識されるものなのでしょうか。間違ってもゆるされるものなのでしょうか。
「脇の下のリンパ節は、がんが一番最初に行くところはとる。センチネルリンパ節をとるとの事。」
「横長のがん。部位が広いがん」ということがわかりました。」疑問を素直な正直な気持ちで聞きました。
結論として
私は乳頭にこだわり、未練が残った。取りすぎちゃったでもよくないし、取ったけれどもがんが残っていたでもこまる。心は揺れ動く。目に見えないがん。初めて体験するが、決めるのは難しすぎる。
温存手術にするか全摘にするか。自信を無くさない方法はどれか、後悔しない方法はどれかきめかねた。再発、転移等を考え、難しい課題に直面しました。今、その場所、その時に、きめなくてはならない。
イメージは、膨らんだ。
私は、覚悟をした。つまり、再手術の覚悟してきめた。
乳房温存手術をえらんだ。手術の後、取った組織を顕微鏡で見て残っている可能性がある場合は追加切除か放射線療法をするいわれた。
なっとくした。
1回目の手術
手術の日は、手術の時、センチネルりパ節分かる造影剤の注射を乳頭の近くにうけた。他にも受けている人がいたので、あんしんした。
手術着に着かえて、ストレッチャーに乗って行くものと思っていたが歩いて手術室にはいった。
手術室は、8か所位あって、私は、一番奥の部屋であった。手術室はすっきりした感じ、自分で手術台に上がり横になる。点滴が打たれ、麻酔薬が入る。液が点滴されると
少し痛いなと思いつつ2秒位で意識はなくなった。
意識が回復してくる様子がわかる。手術は終わったのか…周りに人の気配を感じる。
2時間後、目が覚めたのは回復室であった。体も少しずつ目覚め動き出す感じ。人がいるのがわかった。
目が潤んできたのが、わかった。タイミングよく医師がめのまえにきた。手術は済んだんだ。感動の気持ちで医師に握手を求めた。快く笑顔で受けてくれたのでうれしかった
暫く休むと、病棟から迎えが来る。すとれつちゃーに移され、病棟に変える。私は、ストレッチャーで病棟に変える間、天井を見ていた。天井に水の染みを数えていた。病棟の入り口で、従業員が「お帰り」と出迎えてくれる。
ベッドに移された。仰向けに寝た。案の定、酸素マスク、点滴、導尿のカテーテルにつながれていた。
見るからに重病にみえる。たった2-3時間体をベッド預け寝ているだけで、体が痛くなるんだとわかった。酸素マスクが取れる。少しずつ頭を上げて座位をとる。貧血のように冷や汗、目の前がくらむ。座位に上体を続ける。点滴が抜かれ、導尿のカテーテルが抜かれ、弾力ストッキングを脱ぐ(血栓予防)。
昼過ぎには歩けるようになった。時間とともに、動けるようになり体の回復をかんじる。
回診の時には、圧迫したががーぜが取れ、傷口が見えた。不思議なことに出血もない、傷みも我慢できる。傷口にはテープ(スキントンテープの上、傷口がきれいに治る)が張られ、薄いガーゼに取り換えられ胸帯をつけた。腫れはあった。
乳房温存療法
乳房の手術後は、私が想像でしかなく、写真も見たこともなく、その様なわけで想像したものとは違っていました。
がんを取って胸が小さくなるのかなと
想像していました。しかし、がんを取った部分はくぼみ、余計な皮膚は皺が寄り、変形して頑張った様子で可哀そうな状態でした。
残った部分の組織は、私の意志に関わらずぴくぴく動いたりもしました。忘れられないように主張しているようでした。そのようでしたので、常に左乳房は意識していました。乳房の再建したのは、写真ではみていました。
乳房温存術でどうなるのかは、自分のものではじめてみた。
午後には、病室内、廊下もあるいた。
翌日には、下半身のシャワーもできた。
退院
初めての入院だったので、3週間はかかるだろうと思って、療養期間として仕事は1か月休みをとっていた。
1週間で退院した。のんびりさせてもらい、1か月後に仕事復帰したが、なにこれーと思った。仕事の募集がかかっていた。仕方がないと思った。
社長は、忙しかったからと、言いわけのようにいった。
仕事を持っていると、ゆっくり休んでいられないんだと仕事の厳しさを感じた。
私も仕事では、今まで遠慮なく意見したが、みんなの一生懸命やる姿を見て,、良い所を学び、自分の経験も活かしつつ楽しく仕事をさせてもらい、ついていこうとおもった。
入院生活をして、得たものは、良きにしろ悪しきにしろ皆さんの結束の強さを学んだ。病院では、患者に味方する人はいない。
手術も終わったし、あとは、術後の診察を受け放射線療法か再手術かどちらかを選んで、もう先の治療はないのもかと落ち込み考えていました。
そんな時・・・
進む・乳がん治療の本との出会い
仕事に復帰して、その合間に本屋さんをのぞく、そうしていました。
偶然にも、「進む・乳がん治療」の本に目がとまりました。すぐ買い求め、よみました。わかりやすくかかれていました。
図7のように、乳がんは、乳房の乳腺のなかの乳管と小葉から発生するという。
下手な乳房の断面図です。乳管はわかりますか。
乳管の中には、血管もリンパ管もない。
乳がんは乳腺の中の,乳管や小葉の中で発生し分裂を繰返し増殖します。乳管や小葉の中にとどまるがんが、非浸潤がんで、基底膜を破り乳腺から出たがんが浸潤がんという。前の図6です。
(図7)乳房の組織・乳腺のなかの乳管と小葉
(図8)乳管・小葉の中の微細石灰化とがんのイメージ
非浸潤がんと浸潤がん
上の図の様に、乳房」の中には、多くの乳腺が乳頭から出ています。その、1本を大きく書くとそのようなイメージ図です。
乳管と小葉を拡大して微細石灰化とがんのイメージをしてみました。
黒い点が、微細石灰化です。マンモグラフィで写るものです。
浸潤がんは、基底膜を破り乳管の外に出たがんは、近くの血管やリンパ管で血流やリンパ液にのり全身に広がる可能性があるそうです。がんを再発、転移予防のためにがんのタイプを知り、それに合った薬物療法がある事がわかりました。
がんのタイプには、5種類ある事もわかりました。・・・・・
私のがんのタイプはなんだろう?がんが取りきれない時のことを考え、手術の方法を自己決定しなければならない。次の受診日には結論を出さなければならない。どうしよう。なやみました。
その本がお陰様で参考になりました。
診察日に聞くことをめも帳にまとめました。
1回目の手術後の診察
手術の1か月後に、病理検査の結果を聞く為と、今後の治療方針を聞く為受診しました。医師と私のやり取りで、私に、こだわりが強く見えると言われました。その様なことで次のような展開に進みました。
取ったものを念入りにしらべた。今回その結果は、手術前の針で取ったものは、マンモトーム検査で非浸潤。手術でとれたものが、非浸潤ならいいが、浸潤がごく一部あった。ある程度予想されるものだった。小さいものでね、非常に小さい。リンパ節転移は、手術後もう一度み直したがリンパ節に転移はなかった。非常に広がりは広い。うーん結構広い。
取ったものを見ると,端にがんはあったが全体を見る限り、端に近いところには少しはがんがあるが、ほぼ取り切れていると思われる。
まだ残っているがんがあるんだと、思いました。
端のがんは、5ミリ以内ですか?
そう、5ミリ以内にわずかにがんがある。取らなかった部位にがんがあるかは追加してとってみないとわからない。
かなり広い範囲を取っている。しかし、取らなかった外にがんがあるのはわからない。
分からない部分は私の責任。
乳頭の近いところまで取っている。
乳頭の下には、乳腺をのこしてある。病変があると認識されていないから。