造影CTから
二週間以上過ぎました
「少しずつ 大きくなっていますね」
歪んだデコボコの
いびつな私の癌たちは
自らを変形させながら
隙間を移動し可哀想な肺にたどり着き
威張るように画像に現れています
医師からの言葉は予想通りでしたが
静かだけれど
重くてジワジワ効いてくるのです
そのうえで
放射線はもう使えません
有効な抗がん剤も
現時点ではありません
「先生私はどれくらい生きることができますか?」
唐突な問いかけに
医師は少しだけ慌てて
多発転移している癌たちの位置から
悪さする今後の状況を
ほんの少しだけ説明していただきました
敢えてそれ以上は聞くこともしないで診察室を出た私に
今回初めて会った看護師さんは
カルテを片手に トコトコ急いで走り寄り
「この状況で日常を過ごしていること自体本当はとても大きな事です」
と言ってから
「あと1年か2年くらい生きられますよ、大丈夫!」
えっ?
1年?
2年?
大丈夫?
医師も言わなかったのに
看護師さんから聞くのですか!
ここ二週間
春を通り越し初夏を思わせるような天候だったり
雨が降って肌寒かったり
気温も私もアップダウンでした
観光地へ行く途中に
友人たちが立ち寄ってくれたり
親戚が遊びに来てくれたり
息子たちが帰ってきたり
そうなれば
疲れていても
ヒトに喜んでもらおうとする力が
強く働くのです
もっと喜んでもらいたい
ちゃんとしたい
手を抜きたくない
そうして
「やり過ぎてしまう」
傾向も 自然と出てしまいます
このキモチがあるからこそ
しんどさも一緒に付いてきます
それでも
今までは
自己満足感の方が大きくて
満たされていました
ところが今回は
忙しく動き回ったあと
ストンと堕ちてしまいました
周りにヒトが居ないわけではありません
むしろ大切に思ってくれる人たちはいます
それでも埋まらない感情が
一気に押し寄せました
経験の差によるズレを
敏感に感じ取ってしまう状態
癌や合併症
長い治療
日常的な口腔内出血や痛み
これらを実感として知っている私と
想像でしか触れられないヒトの間には
どうしても距離が出来ます
大丈夫じゃない瞬間を知っているのに
“大丈夫”
前向きに進めない日を知ってるのに
“前向きにね”
こういう言葉の引っかかりが生まれてしまいました
周りのヒトたちは
心配しすぎると
逆に負担になると思ったり
長い時間の中で平静を保つことを覚えてもらったのかもしれないのに
自分勝手に身体の辛さとは別の種類のしんどさでかなり心に堪えてしまったのです
気を張りすぎたのかな?
“もう限界に近いよ”
と教えてくれている状態なのかな?
ずっと考えてました
「さぁ どう生きていこうか」
体調と向き合い
口腔内の痛みに対処し
食事を整え日常をしっかり回そうとしている
これは生きることの本質かもしれない
それなら、、、、
ムリして浮上しなくて大丈夫
元気に振る舞う必要なし
前向きに考えようとしなくていい
不安なままでもいい
とても人間らしいではないか
近くのホームセンターに
待ち望んでいた花苗が入荷しました
“ねぇ、うちに来る?”
“一緒に帰ろう”