中心を忘れ去った民主主義 | 日時計主義の生き方

中心を忘れ去った民主主義


戦後、日本国民の多くは占領軍の占領政策によって洗脳され、

民主主義が根本であり、それ以外の思想は異端で反動であり、



正道を外れたもののように思われているけれども・・・

中心を忘れ去った民主主義というものは、



神の創造した宇宙構図から脱線したものであって、

今の民主主義の政治理念も人生観も決して真理では無い、



要するに「中心を忘れ去った民主主義」ということであって、

各々の中にも霊的中心があり、その霊的中心の指導に従って行動する

民主主義であるならば決して脱線することはないのである。



各人に宿る中心とは蓮華経に示されているが如く、

一切所に充満するる盧遮那仏(るしゃなぶつ)、である。



仏の国土があり、その仏の国土に盧遮那仏が坐して説法している。



各人に宿っている盧遮那仏の説法を聞いて行動する民主主義なら

大宇宙の構図に一致した民主主義になる訳だから、



全体の福祉に繫がる民主主義となるのである。

戦後の民主主義は日本を弱体化せんとする目的意志をもって

占領軍から押し付けられた民主主義であって、



各人に宿る盧遮那仏の声を聞かず、

肉体の欲望のみの声を聞いて全体の福祉を踏みにじり、

似非民主主義だから困るのである。



民主主義とは肉体人間の欲望満足主義ではない、

自己を如来であると尊び、



如来の声を聞いて、それを政治に及び生活に実践する

主義でなければならないのである。



だいたい、日本国を弱体化するつもりで起草された憲法に本当の

民主主義が書かれてあるはずがないのである。



民主主義とは相手の生命を尊重し(国家の生命)相手を完全に生かし、

相互の向上をはかる主義であるからである。



肉体の欲望満足を基本人権などと煽動し、

人間の霊的生命を窒息させ、

自己の物質収入の多からんことのみ求めて、



常に団結して闘争することを生活の信条とする如き主義は

民主主義の仮面をかぶった利己主義又は個人主義に過ぎないのである。



次回につづく



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さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


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日時計主義の生き方


み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞




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