祈りが功徳を現す順序とは?
祈りと云うものは、神から愛を求めるために
懇請する言葉ではないのである。
ある場合には、゛泣きつき゛や゛懇請゛や
゛同情を求める言葉゛の形をとることはある。
それは今まで神に守られていなかったという
錯覚から一転して、神の愛と結び着き得たという
感じを得るための方便および努力である。
一心に懇願的に祈っているうちに、
゛神からこの祈りは聞かれた゛という感じが導き出されて来て、
今まで神に守られていなかったという
錯覚が消えることになるのである。
換言すれば、「自分はすでに神の愛の護りに結びつき得た」
という信仰に到達するのである。
神は今も、過去も、未来も、永劫に変わることなく
゛愛の護り゛の霊波放送を受像し得る心境に達して、
功徳が自分自身とその身辺に顕われはじめるのである。
゛祈り゛は神の無限種類の゛祥福゛の放送に対してどの種類の
祥福番組に波長を合わそうかという選波作用を営むという
働きをすることにもなるのである。
゛健康゛を求むれば、゛健康゛を心に描き、言葉に唱える。
゛繁栄゛を欲すれば、゛繁栄゛を心に描き、言葉に唱える。
゛調和゛を求むれば、゛調和゛を心に描き、言葉に唱える。
これは神の放送し給う無限の番組に対して、
どの番組を受像すべきかについてのチャンネルを
合わすことになっているのである。
だから、゛健康゛を求めながら、
゛病弱の訴え゛を長々と述べてはならない。
祈るときには゛既に○○を得たり゛と心に描き、感謝の言葉を唱える。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
カレン教祖を通して
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぽちっ☆ちてやるでち
↓