何よりもまず謙遜の心を
神は人間が傲慢になることを嫌い給うのである。
だからイエスは゛山上の垂訓゛の冒頭に、
「幸いなるかな、心の貧しき者、
天国は其の人のものなり、
幸いなるかな、悲しむ者、
その人は慰められん」と教えられている。
゛心の貧しき者゛とは、所謂る進歩的文化人のように
頭脳的知識だけで、傲慢不遜に゛自分の考え゛だけが
正しいと思い上がっている人とはおよそ反対の人である。
イエス自身「われみずからにては何事も成し得ず
天の父ここにありて御業を成さしめ給う」と肉体の
自己の力を謙遜に否定しているのである。
喜び明るく笑えといえども、
その「喜びと明るさ」とは一度「肉体人間」の
弱さに気付いて、それを悲しみ歎き、神を求めて、
「悲しみの奥にある聖地」に達した
「喜びと明るさ」でなければならない。
むしろ私達は、゛神の祝福を受け得るに足る
「謙遜な心」「柔和な心」を与えたまえ゛と祈るべきである。
神は人間が傲慢になることを嫌い給う
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さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
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カレン教祖を通して
天の一声が・・・Σ(~∀~||;)
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