そのままの心とは? | 日時計主義の生き方

そのままの心とは?



あまり物事をあせってはならない。

゛そのままの心゛の中に進歩がある。



゛そのまま゛とは無我である。

無我無想の中に神があらわれる。



無我であれば神の知恵が導く。

神の知恵の導くところに失敗することはあり得ない。



神は自らを自己表現したまうチャンネル(通路)として、

無我の人間を求め給うのである。



自己表現の通路に我の歪みがあったら

神そのままの表現ができないで其処に

不完全があらわれることになるのである。



無我の中には恐怖も取り越苦労も

憎しみも争いもあり得ない。



我の要求があらわれて、

無我のチヤンネルを閉塞してしまうから

何事も思うように行かぬことになるのである。



゛我゛を征服することが゛神の国゛を

今ここに実現する道である。



「まず神の国を求めよ、その余のものは汝らに加えられるべし」

とイエスは教えられた。



そのごとくに、゛神の国゛を求めるにはどうするかと言えば、

無我になり無想になって神の通路になることである。



小細工や小手先の技巧で物事を成就しようと思ってはならない。

゛そのままの心゛になって根本的に゛何が正しいのか゛を把握して、



その義しさに根をおろして仕事をするのでなければ大事業というものは

成し遂げられるものでは無いのである。



「先ず、神の国と神の義(ただしき)を求めよ」とイエスが教えられた

其の「神の義」とは、そうした「根本的な義さ」を指すのである。



無我になり無想になって神の通路になることが゛そのままの心゛である。



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さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


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カレン教祖を通して


天の声が・・・Σ(~∀~||;)

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み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



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