自分自信を発見する
神がこの世に人間を生み出したのは、
その人にはその人でなければならない
使命があるからである。
人間が他の人の真似をして類型的になることは
神が人間を地上に生み出した使命に反することになる。
多くの人は他の人が会社員になるから
自分もその方面に進出したいとか、
他の人が小説家になって大いに設けたから、
自分も小説を書いてみたいとか考えるけれども、
それは、神が其の人をある位置に置いた
その位置と異なるところに自分自信を置くことになるのである。
神が置かない位置に其の人が座るならば其の人の生活は
落ち着かないものとなり、常に背伸びをして立っているようで
魂の底から喜べる生活を送ることが出来なくなるのである。
何人にも個性があり、神が与えた使命があり、それを伸ばし、
実践することによって生き甲斐を感じることができるのである。
自分の魂の底からなる願いこそ、
偽らぬ自分自身の使命なのである。
「小説家になって金を儲けよう」と思うとすれば、
小説家になることは金を設ける手段であって
自分の魂の底からなる願いではない。
手段や道具になることは「自分自身」になることではない。
「お金が儲かっても儲からなくても文学で身を立てたい」
との自覚があるならば自分には天分があると思ってさしつかえない。
全ての人間は自分自身にならなければならない。
そして天分を見い出し人類に新しい価値を加えることで、
真の生き甲斐と喜びが得られ、きっとその道で伸びると確信する。
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さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆
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カレン教祖を通して
天の声が・・・Σ(~∀~||;)
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ぽちっ☆ちてやるでち
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