想念と現実とは? | 日時計主義の生き方

想念と現実とは?



想念は原因であり、現実は結果である。

その人が善き運命に恵まれないということは、

その人の想念が「本当のもの」でない証拠である。



イエスは「善き樹はよき果実を結ぶ、

それゆえ果実を見てその樹の善悪を知れ」と教えられた。



その人の想念が本当のものでないと云うことは、

その人の「本来の姿」即ち実相から来る想念ではなく、



現象にとらわれて実相には存在しないような「不完全さ」を

心に常に描いているということである。



もっとその人自身の想念を、実相の明るさに近づけ、

人を憎む心や攻撃精神をなくし、



万物と和解して実相

そのままの完全な調和した想念を現したとき、



現象界の不完全さは消えてしまい、

実相そのままの完全にして調和した状態が

この現象界に現われて来るのである。



ゆえに想念感情を浄め自己批判から始めなければならない、

自己が周囲に対する感情又は想念が棘だったものであるか、



円満なものであるか、他の人の欠点が目につきすぎて、

それを批判し憎むような攻撃精神が多くないか。



棘だった想念感情があるならば円満な想念感情に

置き換えるようにしなければならないし、



攻撃精神があるならば愛と許しの想念感情に

それを置き換えなければならない。



欲求不満の感じがあるならば、

「実相に於いては万事満ち足れり」と念じて、



既にあらゆる欲求が満足せしめられている

円満なる状態を心で感じて欲求不満の感を

取り去るようにしなければならないのである。



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さぁ~今日も明るく元気に
日時計主義の生き方で行ってみよう~(*゜▽゜ノノ゛☆


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カレン教祖を通して


天の声が・・・Σ(~∀~||;)


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み~んな 幸でありますように!*^。^人^。^* )シアワセ!!∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞



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