20代独身女、適応障害にて休職中。 -10ページ目

人は何のために生きるのか

 

 

最後には必ず死ぬのに

 

 

死ぬ

 

ということを考えていないから生きていられるのだろう

 

 

最後には何も残らない

 

ということを考えていないから生きていられるのだろう

 

 

考えていない

感じていない

思ってもいない

 

結局死ぬなんて

 

 

とにかくこんなことばかり考えているから

周りの人とはなかなか話が合わないのだ

 

 

 

結局死ぬ

でも生きなくちゃいけない

「人が生きる」と書いて人生

 

ここですんなり納得いけばいいのだけれど

私は

生きなくちゃいけないなんて、誰が決めた?

と思ってしまう

 

 

何で人々は死ぬことについて何も考えずに

そんなにがむしゃらに働いたり

思い切り楽しんだり

生き続けるのだろう

 

何のために?

 

 

有名になりたいから?

結局死ぬのに

 

お金持ちになりたいから?

結局死ぬのに

 

世界の景色を見たいから?

結局死ぬのに

 

美味しいものを食べたい、家族のため、好きな人のため、

 

 

 

わからない

 

理解ができない

 

 

まっっっったくわからない

 

 

なぜ私は今生きているの?

 

 

この答えが見つかる日が来るとは到底思えない。

 

 

 

何にもない

 

仕事もしてない

彼氏もいない

才能もやりたいこともない

お金もない

飛び抜けた美貌を持ち合わせているわけでもない

 

 

なんにもない

 

 

 

確かな未来が欲しい

先のことを考えすぎて気が狂いそうになるの

 

 

今を生きるのが難しい

 

どうしても思考が先走りしてしまう

 

 

100%の安心がほしいの

 

 

どこに行けば手に入れられる?

 

 

 

 

 

 

私は、今巷で流行りのHSP気質だ。

 

きっと、おそらく。

 

 

昔から映画を観ると必ず泣く。

 

それが感動系の物語でなくても、感動する場面でなくても。

壮大な音楽と映像だけでなぜか感動してしまうのだ。

 

そして映画を一本見終わった後は決まってドッと疲れが出る。

感情のダムの決壊。

 

 

大きな物音にも異常に驚く。

中学生の頃、理科室の後ろの方で何かが落ちた音がして

よくある漫画の表現みたいなビクつき方をした記憶がある。

 

この歳になって苦手な音が増えた。

 

雨の音。

 

 

土砂降りの雨の音が本当に怖い。

雷じゃなくて、雨。

 

夜1人の時にいきなり轟音で雨が降ってくると怖くて不安になるようになってしまった。

 

梅雨の時期はもうそれはそれは地獄。

ちょうど仕事で精神もやられていた時期だったから尚更。

 

 

テレビの音は煩すぎるし、

他人が怒られているのを見ると自分も怒られている気になる。

会話している相手の返答がちょっとでも無愛想だと

「あ、嫌われたかな」って思う。

 

 

音楽を聴いただけで泣けてくる。

 

 

人一倍いろんなことに気がついて気になってしまう。

 

人がどんなことを考えているのか、

どんな人なのかはだいたいわかってしまう。

 

 

人といるだけで疲れる。

 

ああ生きにくい。

 

 

 

私もあの人みたいに図太い神経を手に入れたい。

自分勝手に生きてみたい。

 

 

過剰に反応するこの神経を

殺したい。

 

 

けれど、こんなにいろんなことに気がついて

たくさん周りに配慮ができて気が利く人、

なかなかいないよね。

 

私は周りのみんなと違って「特別」なんだ

って

 

考え方を変えれば私の武器になる。

 

 

 

私の周りにいる人はそもそも

HSP

を知らなさそうだから意味ないのかもしれないけど。

 

 

きっとリアルで私のこの気持ちを理解してくれる人なんていないんだろうけど。

 

 

 

みんなー

私はめちゃくちゃ繊細で

とても気が利く

お利口で優れた人間なんだよー!

 

知ってるー!?

 

 

 

 

人はいずれ死ぬ

 

どんなにお金持ちになっても、

どんなに有名になっても、

死ぬ。

 

なのになぜみんな必死こいて毎日を生きているのだろう。

 

 

週に5日働いて、残業なんかもしながら

たまに仲の良い友人と飲みに行き、

年に数回の長期休暇で旅行にいってみたり、

 

そんな日々が定年まで続き、

会社を辞めた後はのんびり隠居生活なんかを送るんだろうか。

 

 

私は女だから、もしかしたら結婚して出産して

子育てをして、仕事をしない期間もあるかもしれない。

 

今現在も適応障害で休職中なのだから

これからもっと体調が悪くなったり

何かの病気にかかったりするかもしれない。

 

 

 

でも、死ぬ。

 

 

 

だったら何もしなくてもいいんじゃないか?

 

 

やりたいことを仕事にしているんだ、とか

やりたいことがあるからそのために勉強しているんだ、とか

やりたいことができて幸せ、とか

 

そういう人は腐るほどいるけど

 

結局あなたも死ぬんだよ?

 

 

なんて考えてしまう私の思考はきっと酷くひねくれているんだろう。

 

そりゃそうだ、

今私は自分のことを世界でも上位に入るほどの不幸者だと思っているから。

 

 

 

いつからか、「やりたいこと」があるキラキラ輝いた人間がとてつもなく嫌いになった。

 

正直ウザい。

 

 

彼らの発する言葉が、すごく嫌いだ。

 

 

 

こんな思考になったのも全部、私の身体とメンタルが弱いからだ。

 

普通の人からしたら、何言ってんだコイツ、

って思われるんだろうきっと。

 

 

仕事もできない

親にご飯を作ってもらい

洗濯をしてもらい

生活費も出してもらってる

誰のことも喜ばせてあげられない

 

こんな自分が生きてて良いのだろうか。

 

 

人はいつか死ぬんだから。

今死んでも別に変わらんだろう。

 

 

でも病院に行ったり、薬を飲んだり、

ご飯を食べたりしてるってことは

きっと無意識に生きたいと思っている証拠なのだろう。

 

そう思いたい。

 

 

でも、私が生きていて何になるのだろう。

 

 

生きている意味がわかったら

このいつ治るかわからない体調不良も

頑張って乗り越えよう、とか思えるのかな。

 

将来への漠然とした不安も薄れるのかな。

 

 

 

死ぬんだけどな。

 

 

 

 

 

「最愛の人が結婚したんだよ」

 

 

私が大好きで、崇拝している人が発した言葉。

もちろん会ったこともないし、

SNS上でその人が発する言葉、文章に勝手に救われたり共感したりしているだけ。

 

この言葉を見た瞬間、

 

この世にこんな美しい言葉があるのか

 

と思ってしまった。

 

 

その人がどんな思いでこの言葉を書いたのかはわからない。

 

でも私は、ただただ美しいと感じてしまった。

言葉に「美しい」という感情を抱いたのは初めてかもしれない。

 

 

 

私も、

私の最愛の人が結婚してしまったから。

 

最愛の人だったと気がついたのは、彼が結婚した後だった。

 

 

後悔しても遅かった。

手放した私が愚かだった。

 

 

この間、カメラで撮った写真のデータを整理しようとして

久しぶりにハードディスクを開いたら、

その中身は彼との思い出ばかりだった。

 

2人で行った場所、2人で食べたもの、2人で作ったもの

2人の写真。

 

スマホの中の思い出は全て消去したけれど、

こんなところにまだたくさん残っていた。

 

 

 

 

思い出の暴力

 

 

もうそれ以上その画面を見ることができなくて

削除もできないまま画面を閉じてしまった。

 

 

どうでもいいことは時間が経てばある程度記憶が薄れていくけれど、

どうでもよくない本当に大事なことは時間が経つにつれて

濃く、深く記憶に刻まれてしまう。

 

 

やっかいな私の脳味噌。

 

 

 

できることなら全て忘れたい。

良かったことも悪かったことも。

ここ6年間くらいの記憶を全て飛ばしたい。

 

そうしたら思い出に苦しめられることもなくなるだろう。

 

 

「最愛の人が結婚したんだよ」

 

 

 

なぜ私がこの言葉を「美しい」と感じたのかは自分でもよくわからない。

 

「わかる」とか、共感するでもなく

ただただ美しいと思った。

 

一生忘れられない言葉になった。