どうも。
自分が花粉症だと、未だに信じたくない村田です(笑)
この前、友達と夕飯を食べにガストに行きました。
その時に、ずっと気になっていた
『やわらか牛カルビの辛口チゲ』を注文。
村田的に丁度良い辛さ(村田は辛いもの大好き)で、
お肉も想像以上に柔らかくて美味しかったです^^
また、村田は以前、ガストでアルバイトしていたこともあり、
「このメニューはきっとこういう作り方してんだろうな」
なんて考えながら食べたりしちゃって、
他の人とは少し違った楽しみ方をしていました(笑)
※因みにキッチン担当でした。
村田が働いていた所は池袋。
平日でも人通りが多い東口方面のガストだったので、
兎に角朝からずっと忙しなかったです(汗)
特に土日は戦場でした…
流れ続ける伝票に恐怖を感じた事もしばしば。
夏場のキッチンは本当に暑かった…
ん~、懐かしい(笑)
そんな懐かしさを感じるガストに、
おでんのガチャガチャがあり、気になって回しました。
出てきたのは「ごぼう天」
全6種類で、ごぼう天の他にも「たまご」や「たこ」とかがありました。
(村田が大好きな大根はなかった(泣))
折角なのでスマホケースに付けて帰りました。
けれど村田は本当に阿保で、
家に着く頃にはガチャガチャを回した事も、
ごぼう天をスマホケースに付けた事も忘れているんですよ。
だから、朝起きた時にそのごぼう天を見て、
「え?!なんで人参グラッセが布団に落ちてんの?!」
とティッシュ片手に1人で騒いでました(笑)
ごぼう天なのに“人参グラッセ”って馬鹿丸出しなんですが、
言い訳させてください。
このごぼう天。
ごぼう天なのにも関わらずオレンジがかってるんですよ。
村田の知っているごぼう天は茶色なんです。
だから、ごぼう天を人参グラッセと間違えても仕方ないんです。
でも、まず布団に人参グラッセが落ちてることに疑問を持たないのは、
自分でも「どうなの?」と思ってます。
しっかし、この忘れっぽさどうにかならないかなぁ…
*****
話は大分変わって―
先週、とある番組で、
「友達と知り合いの境界線」について話ていました。
例えば、
仕事で信頼のおける同僚でも、
行きつけのバーで仲良くなった人でも、
仕事場以外、バー以外での関わりがなかったら、
“友達”と呼べる存在ではないのか?
同僚は“同僚”のままで、
“同僚”を超える存在にはならないのか?
バーで仲良くなった人は“バーでだけ”の仲で、
バー以外では“知り合い”程度の存在なのか?
そんな「そう言われれば、どうなんだろう?」
という話をしていて、村田は思わず聞き入ってしまいました。
ただ、友達や知り合いなどの境界線って1人1人違うから、
一概に「これだ!」と言えるものではありません。
そもそも、
「友達」をどう思っているかによって、
「友達」という言葉の重さが異なります。
TwitterやFacebookやLINEの友達の中に名前があるから、
取敢えず友達という言葉の“枠”にいれている、
そんな人もきっといるでしょう。
もちろん、村田はその1人。
連絡先知しってるけど、連絡しない人っているし、
話す過程で取敢えず“友達”と言う人もいます。
だから、”友達だから”何でも話せるってわけではありません。
友達でも話せない事だってあるし、
そこまで踏み込んでほしくないと思う事だってあります。
また、知り合い程度の仲だとしても、
取敢えず“知り合い”の枠に入れいているだけで、
どこか友達よりも信頼している、そんな人もきっといるでしょう。
もちろん、村田はこれもその1人。
連絡先を知っていれば連絡をするし、
知らなかったら知らなかったで、偶然会える日を楽しみに待ちます。
だから、“知り合いだから”言える事がきっとあるだろうし、
少し遠い関係(距離)だからこその「信頼」があるかもしれません。
そう考えるとやっぱり、
友達と知り合いの境界線って「これだ!」というものがないのです。
上記で話したような事が実際にあるのだから、
「じゃあ結局、友達と知り合いの境界線って何?」
って更に謎が深まる感じです。
けれど、この「友達と知り合いの境界線」
という言葉に決して捕らわれなくてよくて。
例えば人は、友達でも「知り合い寄りだけど、友達」だとか、
知り合いでも「友達寄りだけど、知り合い」みたいに、
「若干意味合いは違うけど、言葉にするならこれかな?」
と、結構曖昧なまま言葉を選ぶ事があります。
だから、その言葉をそのまま受け入れてしまうと、
勘違いをしてしまったり、その勘違いから喧嘩になる事もあれば、
友達も知り合いでもない「他人」に変わってしまう可能性があります。
この人との関係って、本当に色んな糸が絡まりあっていて、
どれが正解で、どれが間違いなんてなく、
ちょっと言葉では表せない様な、謎めいたものを纏っています。
それがあるから成り立っている部分があります。
言葉に出来ないからこそ、成り立っている関係があります。
「この人とはこの距離だからいい」
「この人とはこういう関係だからいい」
上記のような「○○な感じ」という、
言葉の“枠”以上のものが、人間関係には必要で。
その言葉の“枠”以上の―…言わば、
自分と相手と『心の距離』『心の繋がり』
が境界線が生まれる1つの理由なのかな?
と村田は思います。
だから、友達と知り合いという言葉に捕らわれるのではなく、
その人をどう思って、どんな関係でいたいか。
それが『境界線』になるのではないのかと思います。
結局何を言いたいかというと、自分の周りにいる人達を、
“友達”や“知り合い”等という言葉の「枠」に無理矢理入れなくても、
互いが互いを求め合っていればいいのではないのかという事です。
目に見えない、自分と相手の気持ち―
言葉には出来ない、自分と相手の距離―
これが、自分と相手の関係を築く大切なものです。
