どうも、村田です。
↑これ。
今の村田の目の感じをマウスで懸命に描きました。
本当は眼鏡かけてるのですが、
マウスで描くのは厳しくて描くの諦めた笑
(早くペンタブ届かないかなぁ…)
実は、村田の左目。
原因が分からないんだけど急に垂れちゃって。
しかも左顔面が夕方になると凄く痛くて。
身体もしんどくて、毎日家に帰って倒れ込んで。
微熱がずっと続いてて、関節が痛くて。
色んな病院で血液検査やらMRIやら撮ったんだけど、
それでも「これだ!」という病名が見つからなくて、
未だに病院に通い続けています。
ただ、左顔面が痛い原因って言うのは、
「副鼻腔炎」が原因の1つで、
左の顔と喉が副鼻腔炎でやられてるって言われました。
で、もう一つが「片側顔面痙攣」の可能性があるそうです。
最終結果はまた病院に行かなきゃ分からないのですが…
それでも左目が垂れてしまっているのは、
副鼻腔炎が原因でも、片側顔面痙攣が原因でも、
どちらでもないと言われてしまって大分困ってます。
病名が分からない、原因が分からない、
そんな中生活を続けるのは結構しんどいものです。
村田は今サービス業をやっている身なので、
こんな半分死んだような顔をしていると、
どうしてもお客さんに二度見をされたり、
小さい子から「変な顔!」って言われたりします。
だから、凄く今人前に出るのが嫌です。
傷つくのが目に見えているし、
こんな顔している人にサービス(接客)をされたくない人もいるだろうし、
何せ村田は「可哀想」と思われるのが嫌なんです。
好きでなっているわけではないので、
「可哀想」と言われるのがとてつもなく、辛いのです。
自分の顔を鏡で見るのも嫌なくらい、
自分の左顔はほぼ笑っていない。
作り笑顔しているのが自分で分かるのが辛い。
なので、最近殆ど鏡みてません。
困ったものです…
そして、どの病院の先生にも
「ストレスとかありませんか?」
「困っている事、我慢している事、辛い事ありませんか?」
「悩みを話せる相手はいますか?」
と言われる始末です。
でも、そうやって言われるのは、
当たり前というか、仕方ないというか…
村田は例え苦手な人であっても、
表向きは平気なふりして付き合う事は出来ます。
けれど、苦手なものは“苦手”です。
特に、
・相手を思いやる気持ちが感じられない人
・自分の事しか頭にない人
・何でも「自分」に置き換える人 etc.
と一緒に
「過ごす、話す、仕事をする」のは本当に気力を使います。
「この人はこういう人なんだ」
と割り切ったとしても、苦手なものは苦手で。
村田が病気になったのも、
そういう人から貰った、浴びせられた言葉が原因。
「人を何だと思っているの?」
と思うような、そんな言葉。
上記の「人を何だと思っているの?」
みたいな正直な気持ちを伝えても、
「そう聞こえるようにしているのは自分」
「そういう選択をしているのは自分」
「私(俺)の方がしんどい、辛い、苦しい」
「でも私(俺)は」
「だけど私(俺)は」
「だって私(俺)は」
「私(俺)には関係ないし、どうでもいい」
(↑実際に村田はこれを言われました)
果たして「人」を「人」として見ているのか
分からない答え(返事)が返ってくるのです。
村田はそんな人と話す度に、
生気を吸われている感覚になります。
関わらないようにしようと思っても、
今、村田がいる場所は「会社(社会)」という世界。
「我慢」を時として「力」にする場所。
「苦痛」を時として「成長」にする場所。
「涙」を時として「糧」にする場所。
手放したくても、中々手放せない世界です。
手放せば生活が出来ない。
だからといって
自分の身を削ってまでしがみつく必要なんてないし、
今の時代「変われる場所」が幾つもあります。
―じゃあ、何でそんなに悩んでるの?―
―悩みが「人」だから。―
どうしたもんか。
