尊富士(たけるふじ)が新入幕力士として110年ぶりの優勝を果たした。110年前のことなど誰も見ているはずがないが、どんな力士でその後どうなったのか。後で調べてみよう。優勝は何回か。最高位はどれほどか、など。

 

尊富士は本当にすごいことをやってくれた。青森県五所川原市金木町出身。吉幾三、太宰治と同郷ということだ。母親や祖父母がテレビに映っていた。母親は居ても立っても居られなく、千秋楽に飛行機で大阪に向かった。エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)まで行くが入場券は完売で買えない。外で、スマホで取り組みをみていたという。涙が出そうだ。何とかならなかったものか。

 

尊富士は14日目、朝の山戦で右足を怪我した。千秋楽は休場かという窮状。おっと、ここでシャレか。

救急車で大阪市内の病院へ搬送されたと聞き、大の里が負けて尊富士優勝だったら、優勝力士のいない表彰式になるのかと思った。

 

千秋楽尊富士は師匠(元横綱旭富士)に直訴しての強行出場だったそうだ。大声援の中尊富士は豪の山を押し倒して白星を飾った。その瞬間、史上最速の所要10場所で、110年ぶりの新入幕優勝が決まった。まだ大銀杏(おおいちょう)を結えないちょんまげ力士の優勝も初。さらに殊勲、敢闘、技能の3賞もすべて獲得した。

 

名ばかり横綱照ノ富士はまたも途中休場、カド番大関貴景勝は13日目に何とか勝ち越すも翌日から休場、大関霧島は大きく負け越し来場所はカド番、朝青龍ゆずりのヒール大関豊昇龍は注文相撲ばかりで顰蹙を買い、上位陣がこれでもかというほど、不甲斐ない。

 

そんな時出てきたニューヒーローがまだ髷も結えない平幕力士、尊富士と大の里だった。体も顔もいい。スピードもある。1年後は2人そろって横綱になっているかも知れない。

 

ところで110年前の優勝力士とは?

両国という力士。秋田県仙北郡生まれ。1914年(大正3年)5月場所(東京)を9勝1休(10日制)で新入幕優勝を果たした。

 

   ✳︎当時は現在と違い不戦勝と不戦敗がなく、互いに休場扱い。また判定が紛糾した際は取り直しではなく「預かり」(引き分けの一種)とされた。相撲は年たった2場所の開催だった。それも15日制ではなく10日制。1月開始の春場所と5月開始の夏場所で、各10日間。

 

だから表題のような川柳が読まれたのだ。

「一年を二十日で過ごすいい男」

 

両国の最高位は関脇で、優勝は新入幕の1回のみだった。1924年1月の春場所を最後に引退し、年寄「武隈」を襲名。1960年に68歳で亡くなった。

 

尊富士はぜひ横綱になってくれ。