今までに読んだ中山七里の小説は6冊。

 

「アポロンの嘲笑」

 3・11東日本大震災の5日後に殺人事件発生。福島第一原子力発電所に向かう男たちの逃走と追跡。中山七里の作品中最高の面白さだと思う。次々と起こる絶体絶命はハンパじゃない。

 

「追想の夜想曲(ノクターン)」

 鮮やかな逆転法定劇はまさか、まさかの連続。これぞ、超どんでん返し。中山七里の鬼気迫るストーリーテラーぶりが発揮される。

 

「月光のスティグマ」 

全く見分けがつかない一卵性双生児の女性2人。ミステリーの主人公として双子を登場させるのはいささかアンフェアであるが、ラストはテロリストたちとの対決。なんじゃこりゃあ、的展開だが、面白さはいつものとおり。

 

「恩讐の鎮魂曲(レクイエム)」 

悪徳弁護士の御子柴が主人公なのは「追想の夜想曲(ノクターン)」と同様。終盤が小気味よく、おっ、そうくるのか。中盤はあっと驚く人間関係も判明する。やっぱり面白い。

 

「ハーメルンの誘拐魔」

誘拐される子どもは7人、身代金は1人10億円、計70億円だ。あり得ないストリーだと思うが、犯人は70億円をたった1人で奪取することに成功する。1億円で約10キロ、70億円なら700キロ、軽トラ2台分だ。いったいどうやって?

 

「テミスの剣」

テミス像は手に天秤と剣を持つ。天秤は正邪を測る「正義」を、剣は「力」を象徴する。最高裁判所などにある。無実の人間が死刑判決を受けるが、犯人とされた男は拘置所で自殺する。5年後別に別の殺人事件で逮捕された男が真犯人だった。よくあるパターンだが、中山七里の手にかかると、重厚なエンターテインメントになる。

 

そして、中山七里の小説7冊目が「夜がどれほど暗くても」。

 

 

週刊文春と週刊新潮をおちょくるような週刊誌名は「週刊春潮」。そこで副編集長を務める志賀が主人公。毎週毎週、有名人のスキャンダルを暴き、販売部数は好調をキープする。スキャンダル記事こそが他の記事を支えているという自負を持っており、周りの評価も高く、順風な編集者生活を送っていた。しかし、一人息子の健輔がストーカー殺人を犯し(夫婦を殺害)、その上に自殺したという疑いがかかり事態が一変する。

 

取材する側からされる側へ。加害者の父である志賀の居場所はなくなった。「週刊春潮」から「春潮49」の部署へ降格された。会社にも自宅にも取材記者が押し寄せ、非難電話が鳴り止まない。やむなく「週刊春潮」でもその事件を深掘りする。被害者の一人娘も登場し、あり得ないような悪仲間も。志賀の妻も標的にされたようだ。。妻は愛想を尽かして家を出てしまい離婚届けが郵送される。

 

いったい、この小説に救いはあるのか。息子がストーキングしていたとされる女性(大学の教員)とその夫(文科省官僚)は死んでいる。夫を殺してその妻と無理心中したと思われる志賀の一人息子も死んでいる。出版社との関係は最悪。登場人物には誰一人として感情移入出来ず、いったいどこにこの小説の落とし所はあるのだろう。

 

ミステリーの分野に「イヤミス」という分野が冗談のようだが実際にある。読んでイヤな気分になるミステリー、読後感もサイアク、というミステリーのことだ。「告白」や「リバース」など、湊かなえの小説はどれもイヤミスである。イヤミス女王とさえ言われている。

 

岸祐介の「悪の教典」もイヤミス。かっこいい爽やかなモテ男のハスミンは高校教師。女生徒たちのファンも多いのだが、実は殺人鬼。生徒たちを手当たり次第に殺しまくるのだ。映画化され、DVDで見たが、さすがに正視できなかった。

 

それらと比較すると、ややレベルはダウンするが「夜がどれほど暗くても」もイヤミスだった。2度の襲撃を受け、歩けないほどのダメジを負った。火事で燃え盛る家の中に飛び込み、意識を失いかけるが、危機一髪のところで助かるのは、氏の他の作品でもよくある。

 

しかし、ラストはほんの一筋の光が差し込む終わり方である。ほんの少しだけ救われた気持ちになる。それでもイヤミスであることには変わりない。