ほんとにわからん( ̄▽ ̄)
今週はコーチング三昧です。
昨日、今日、明後日と、10件のコーチングを予定しています。
親と話していると、僕も色んなことに気付きます。
詳しい内容は守秘義務があるから話せませんが、一般論なら大丈夫だろうと思って、ご紹介します。
僕がやりたいのは『自律学習』(=自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る)の定着だ、っていうのはよくメルマガに書いています。
その先にあるのは、『子どもの天才性を見出す』っていうことです。
ここで言う『天才性』とは、子どもが際限なくエネルギーと時間を費やせるもの、という意味です。
つまり、『自律学習』の末に子どもが際限なくエネルギーと時間を費やすのは何か?っていうを探したいんですね。
そのために、『遊びの解放』が必要なんです。
もしも、「ゲームは1時間までね」とか、「宿題やってから遊ぼうね」など、親の方で遊びを制限していると、子どもは親の枠に収まりますよね。
子どもはそれでも楽しいかもしれません。
けれど、事実、子どもは親の枠に収まってしまいます。
それが別に悪いわけじゃないんです。
子育ての目的の違いです。
良し悪しじゃありません。
子どもを人の言うことを聞ける良い子に育てたければ、親が遊びをコントロールしてあげればいいんです。
勉強もしないよりはした方がいいから、勉強や宿題もさせてあげればいいんです。
最初は言うこと聞けなかったり、約束を守れなかったり、上手くいかなくっても、やり続けると少しずつ子どもも上手く親の指示に従えるようになってきます。
しかし、一方で、親の言うことを聞けるようになる代わりに、自分で考えて行動したり、突き抜けて才能を発揮する、っていうことは失われます。
そりゃそうですよね。
親がいる間や、親が許可してる間はやるんです。
言い換えれば、親がいない間や、親が禁止している間はやらないんです。
子どもの実権を親が握っている状態。
子どもを親がコントロールしている状態。
子どもは親の言うことはよく聞くけど、親の枠の中に小さく収まります。
親は満足するかもしれませんが、子どもが才能を発揮することは難しくなります。
というよりも、子どもの才能を発見するのも難しいと思います。
社会に出るに当って、人の言うことを聞くことも大切ですから、別にこれも悪いことじゃありません。
たぶんね。
僕は推奨しませんけど。
親は安心しますよね。
ちゃんと子育てしている感じがあるし、親の責務を全うしている感じもします。
親の貢献感は満たされます。
ぶっちゃけで言えば、子どもに親の言うことを聞かすのは、『子どものため』ではなく、『親のため』です。
そこは間違えてはいけません。
親の精神的な安定のために、子どもに言うことを聞かせるんです。
僕がさっき「親の言うことを聞かせるのも悪くはない」って言ったのは、子育てをする親が精神的にダメージを受けすぎると、その影響が子どもにいくんです。
だから、親の精神的な安定が保てない場合は、子どもを強制するのもありではないか、っていう発想です。
ただし、綺麗事ではなく、そうすると、親の精神的な安定が担保される代わりに、子どもの才能は抑制されますよね。
だって、1時間遊んだだけで、どうやって才能が発現しましょうか、って話です。
事実として、そういうことが起こりますよね。
例えば、「プロサッカー選手になりたい!!」って夢があったとして、毎日1時間やるだけでプロサッカー選手になれるんだったら、夢を挫折する子どもなんていなくなるんじゃないかな、なんて思うんです。
子どもに言うことを聞かせることは、親の精神的な安定と引き換えに、子どもの才能の発現の機会は失われちゃう。
で、もう一つ知っておきたいのは、「遊びは1時間まで」とか、「宿題はしなくちゃいけない」とか、「学校の勉強をしなきゃいけない」っていうのは、間違いなく思い込みです。
例えば、宿題をしないと何が困るのでしょうか。
コーチングでもよく親に聞きますが、大抵の場合、世間体に行き着きます。
先生に「まともに子育てをしていないと思われる」とか。
よその親に「まともに子育てをしていないと思われる」とか。
ゲームをさせ続けると何が困るのでしょうか。
将来がダメになる、って言われても、僕は夢を叶え始めていますけど、ってなるんです。
むしろ、マジメに勉強ばっかりしてきた人よりも、充実した毎日を送って、幸せに生きています。
「ゲームをさせ続けると頭が悪くなる」っていうのも、実は幻想です。
それで頭が悪くなっている場合、別の要因が働きます。
だって、ゲームは単なる道具だもの。
人の頭を良くする力も無ければ、悪くする力もありません。
要は、ゲームを"どうやって"使ったか、っていう話です。
だから、子育てには色んな思い込みがあるんです。
親の持つ思い込みから子どもが外れると、『なぜか』不安になるんです。
真実かどうかも分からないのに、『なぜか』心配になるんです。
言い換えれば、何だかよく分からないけど、とりあえず、子どもが親の言うことに従ってくれると『なぜか』安心するんです。
不安になるんも、安心するのも、特に根拠はないんですね。
親自身が体験したり、実際に調査したりしましたか??っていうと、ほとんどの人がNOだと思います。
それらの思い込みの出処は、
「本で読んだ」
「テレビで見た」
「人から聞いた」
などの『二次情報』と呼ばれるものがほとんどだと思います。
二次情報は、分かりやすいし、何となくそれっぽいから、簡単に騙されるし、簡単に人を騙せます。
昔、テレビ番組の何とか大辞典であった、『納豆ダイエット』なんかと同じ話ですよね。
実は捏造だった、っていう話です。
僕の考えで仮説ですが、『遊びの制限』は全て親の思い込みによるものである、って思っています。
つまり、「なぜ、それをやってはいけないのか?」っていうのは、二次情報や世間体に行き着く、っていうことです。
事実としての根拠は無い、って思っています。
とは言え、理論に絶対に正しいなんてことはありえないので、僕の仮説も穴は探せばあると思います。
そもそも『仮説』ですし(笑)
でね。
僕らは、子どもに困ったことが起こらないように、事前に遊びを制限しておくわけですよね。
リスク回避の考え方としては優秀かもしれませんが、僕は、困ったことが起こってから考えればいいじゃないか、って思っています。
『遊びの解放』は、遊ばせすぎて何か困ったことが起こるかもしれません。
でも、起こらないかもしれません。
さっきも書いたように、『遊びの制限』は、親の安心感と引き換えに、子どもの才能の発現機会を奪います。
で、もし『遊びの解放』をしても大人になるまで何も困ったことが起こらなかったら・・・?
本当は、『遊びの解放』をしても何も困ったことは起こらないのに、「『遊びの解放』をすると何か困ったことが起こるかも・・・」という不安や心配で、『遊びの制限』をしていると、単に子どもの才能の発現機会を奪っただけになっちゃうんです。
親は安心して子育てをやり切った達成感や満足感はあるでしょう。
しかし、子どもが大人になった頃、自立しなきゃいけないのに、自分の意志で行動してこなかったから、いざ仕事を探し始めると、自分でやるには自信が無いし、そもそも何をやりたいのか分からなくなる。
さらに、何か得意なこと・・・って探しても、勉強ばっかりやってきたから、勉強しかできない。
親は子育てやり切ったからいいんですが、これから子どもの時代だ!っていう時に、子どもは何もできないし、何かやる自信もない、っていうことが起こります。
もしも『遊びの解放』で何も起こらないのに、何か問題が発生することを怖れて、『遊びの制限』をしていると、親の満足感だけが残るわけです。
じゃあ、何のための子育てなんだろう??って思うんです。
この僕の考えも真実かどうかは分かりません。
だから、実践する場合は自己責任でお願いします。
それも『自律学習』の考え方です。
自分で考えて、判断して実践して、何か起こったら、自分で対処しましょう、って考えですね。
これは子どももそうですし、親もそうですし、僕もそうです。
『自律学習』の根底にある考え方は、「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」っていう考え方です。
一見すると、誰かのせいにしてしまえそうなことでも、どこかで自分が必ず関与しています。
例えば、買った商品が不良品だったとします。
そうしたら、大抵の人はメーカーや、小売店のせいにすると思います。
それも間違ってはいないでしょう。
でも、忘れちゃいけないのは、知ってる知らないに関わらず、それを買ったのは『自分』っていうことです。
だから、買った商品が不良品だったのも自己責任です。
でね。
「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」っていう考え方は、言い換えれば、「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自分の思い通りになる」っていうことでもあるんです。
買った商品が不良品でした。
この時に考えたいのは、次に取れる行動は無数にある、っていうことです。
例えば、買った商品が安い電化製品だとします。
良品の場合って大切に扱うと思います。
不良品だからこそ粗末に扱うことに抵抗は少ないはずで、分解したり、壊してみたり、改造してみたり、普段できないことを躊躇なくできちゃうかもしれません。
そうすると、買った商品が不良品だったお陰で、ずっと気になっていたことが解消されたりするわけです。
一例に過ぎませんけど、他にも考えようによっては、いくらでも活用方法はあるわけです。
自分のやりたいようにやっていいんだ、って考えられていると、不良品だったからこそできることが見えてくるんです。
これが「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」っていう考え方です。
子どもに『自律学習』を身に付けてほしい最も大きな理由は、『夢を叶えてほしいから』です。
「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」って考えているからこそ、夢を叶えるのも、叶えないのも、自分の考え方や、行動一つで自由自在に変えられるんです。
夢を叶える途中で、誰か人のせいにしたりしない。
だから、自分の手で夢を叶えていける。
そう考えるから、運すらも引き寄せていくんです。
親が『遊びの制限』をしていると、子どもが身に付けるものがもう一つあります。
それが「人のせいにする」っていう技術です。
元々、親に言われてやったり、やらなかったりしているので、何か困ったことが起こったら親のせいにできるんです。
「お母さんが言ったから」とか、「お父さんに怒られたから」って言えちゃうんです。
自己責任じゃないんです。
自分で現実をコントロールしないんです。
「勉強を毎日1時間する」って言われて、その通りにやって成績が上がらないとします。
そうすると、「お母さんの言う通りにやっているのに」って言えちゃうんです。
『のに』です。
親からすれば『子どものために』っていう大義名分で『遊びの制限』をしているつもりだから、「人のせいにするな!!」って子どもを怒ることができるんですね。
でも、さっき書いたように『遊びの制限』って、親が得られるのって、安心感や満足感、「自分は子育てをがんばっているんだ」っていう親としての貢献感です。
つまり、『遊びの制限』は誰のための行動か?っていうと、『親のため』です。
『子どものため』っていうのは、幻想です。
だって、遊びを制限されても、子どもは嬉しくないですよね?
「やったーーー!!1時間しか遊べないぞーーーー!!!!」とはなりませんよね。
「え~~、もっと遊びた~~い」ってなるはず。
もしくは、「(親の期待に応えるために)分かった」ってなるはず。
だから、『遊びの制限』は、親が安心感や貢献感を得るために、子どもの才能の発現機会を犠牲にしているんです。
『犠牲』っていうと、おどろおどろしい言葉ですけどね。
勉強を突き抜けてほしい、って思う場合は、先に『遊びの解放』をしている必要があるんです。
だって、自分の好きなことで突き抜けている体験を持っているからこそ、「勉強も突き抜けてやろうかな」って思えるわけです。
自分の好きなことが「1時間しかできない」っていうんなら、自分の嫌いなことは「1時間もできない」ってなりますよね。
「自分の嫌いなことを際限なくやるぞー!!」とはならんわけです。
自分の好きなことを「1時間しかできない」んなら、自分の嫌いなことは「1秒たりともやりたくない」です。
自分の好きなことよりも、自分の嫌いなことをやりたがるのって、気が狂ってるんじゃないか、ってちょっぴり思います。
実際は、そういうことはほとんど起こりませんけどね。
で、最後に2つ質問です。
「子どもを突き抜けさせるのに、親自身は突き抜けた(やり切った)体験をしたことがありますか?」
「子どもに『遊びの解放』をするのに、今現在、親自身(自分自身)の『遊びの解放』はしていますか?」
これができていれば、子どもにもすんなりとできると思います。
これができていなければ、子どもをどうこうする前に、まずは自分自身のことから始めるのが先決だと思います。
『最後に』って書いたけど、あと一つだけ書きます(笑)
「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」って僕は考えています。
今の世代の親は、自分自身の親はどちらかと言えば、『遊びの制限』をバシバシやってきた世代だと思います。
ということは、今、子育てをしている親の多くは、「自分は好きなことをやってはいけない」っていう思い込みを作っている可能性があります。
でね。
その時に、「親に遊びを制限されてきたから」って考えることもできます。
しかし、「親の遊びの制限を甘んじて受け入れてきたのは自分だ」って考えることもできます。
この考えを受け入れるのは、だいぶしんどいかもしれませんけどね。
つまり、「今、親自身が遊べない」っていうのも、実は、自分自身がそういう人生を選択してきているだけ、って考えることもできるんです。
「親のせい」なのか、「自分のせい」なのかは、どちらが正しいかは分かりません。
ただ、「自分のせい」にしておくと、今の現状を自分の手で変えられるんです。
しんどいけど。
心はしんどくなるけど、その代わり、自分の手で自由自在に変えられるようになります。
だから、ぜひ、できる範囲でもいいから、親が自分自身に対して『遊びの解放』をしてあげるのも超オススメです。
ただし、実践は自己責任で(笑)
わかってきたことは
子供ではなく
親だな
親自身の中の問題だな
ってこと
最近メルマガで届く
佐伯和也さんを紹介
長いよ( ̄▽ ̄)
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今週はコーチング三昧です。
昨日、今日、明後日と、10件のコーチングを予定しています。
親と話していると、僕も色んなことに気付きます。
詳しい内容は守秘義務があるから話せませんが、一般論なら大丈夫だろうと思って、ご紹介します。
僕がやりたいのは『自律学習』(=自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る)の定着だ、っていうのはよくメルマガに書いています。
その先にあるのは、『子どもの天才性を見出す』っていうことです。
ここで言う『天才性』とは、子どもが際限なくエネルギーと時間を費やせるもの、という意味です。
つまり、『自律学習』の末に子どもが際限なくエネルギーと時間を費やすのは何か?っていうを探したいんですね。
そのために、『遊びの解放』が必要なんです。
もしも、「ゲームは1時間までね」とか、「宿題やってから遊ぼうね」など、親の方で遊びを制限していると、子どもは親の枠に収まりますよね。
子どもはそれでも楽しいかもしれません。
けれど、事実、子どもは親の枠に収まってしまいます。
それが別に悪いわけじゃないんです。
子育ての目的の違いです。
良し悪しじゃありません。
子どもを人の言うことを聞ける良い子に育てたければ、親が遊びをコントロールしてあげればいいんです。
勉強もしないよりはした方がいいから、勉強や宿題もさせてあげればいいんです。
最初は言うこと聞けなかったり、約束を守れなかったり、上手くいかなくっても、やり続けると少しずつ子どもも上手く親の指示に従えるようになってきます。
しかし、一方で、親の言うことを聞けるようになる代わりに、自分で考えて行動したり、突き抜けて才能を発揮する、っていうことは失われます。
そりゃそうですよね。
親がいる間や、親が許可してる間はやるんです。
言い換えれば、親がいない間や、親が禁止している間はやらないんです。
子どもの実権を親が握っている状態。
子どもを親がコントロールしている状態。
子どもは親の言うことはよく聞くけど、親の枠の中に小さく収まります。
親は満足するかもしれませんが、子どもが才能を発揮することは難しくなります。
というよりも、子どもの才能を発見するのも難しいと思います。
社会に出るに当って、人の言うことを聞くことも大切ですから、別にこれも悪いことじゃありません。
たぶんね。
僕は推奨しませんけど。
親は安心しますよね。
ちゃんと子育てしている感じがあるし、親の責務を全うしている感じもします。
親の貢献感は満たされます。
ぶっちゃけで言えば、子どもに親の言うことを聞かすのは、『子どものため』ではなく、『親のため』です。
そこは間違えてはいけません。
親の精神的な安定のために、子どもに言うことを聞かせるんです。
僕がさっき「親の言うことを聞かせるのも悪くはない」って言ったのは、子育てをする親が精神的にダメージを受けすぎると、その影響が子どもにいくんです。
だから、親の精神的な安定が保てない場合は、子どもを強制するのもありではないか、っていう発想です。
ただし、綺麗事ではなく、そうすると、親の精神的な安定が担保される代わりに、子どもの才能は抑制されますよね。
だって、1時間遊んだだけで、どうやって才能が発現しましょうか、って話です。
事実として、そういうことが起こりますよね。
例えば、「プロサッカー選手になりたい!!」って夢があったとして、毎日1時間やるだけでプロサッカー選手になれるんだったら、夢を挫折する子どもなんていなくなるんじゃないかな、なんて思うんです。
子どもに言うことを聞かせることは、親の精神的な安定と引き換えに、子どもの才能の発現の機会は失われちゃう。
で、もう一つ知っておきたいのは、「遊びは1時間まで」とか、「宿題はしなくちゃいけない」とか、「学校の勉強をしなきゃいけない」っていうのは、間違いなく思い込みです。
例えば、宿題をしないと何が困るのでしょうか。
コーチングでもよく親に聞きますが、大抵の場合、世間体に行き着きます。
先生に「まともに子育てをしていないと思われる」とか。
よその親に「まともに子育てをしていないと思われる」とか。
ゲームをさせ続けると何が困るのでしょうか。
将来がダメになる、って言われても、僕は夢を叶え始めていますけど、ってなるんです。
むしろ、マジメに勉強ばっかりしてきた人よりも、充実した毎日を送って、幸せに生きています。
「ゲームをさせ続けると頭が悪くなる」っていうのも、実は幻想です。
それで頭が悪くなっている場合、別の要因が働きます。
だって、ゲームは単なる道具だもの。
人の頭を良くする力も無ければ、悪くする力もありません。
要は、ゲームを"どうやって"使ったか、っていう話です。
だから、子育てには色んな思い込みがあるんです。
親の持つ思い込みから子どもが外れると、『なぜか』不安になるんです。
真実かどうかも分からないのに、『なぜか』心配になるんです。
言い換えれば、何だかよく分からないけど、とりあえず、子どもが親の言うことに従ってくれると『なぜか』安心するんです。
不安になるんも、安心するのも、特に根拠はないんですね。
親自身が体験したり、実際に調査したりしましたか??っていうと、ほとんどの人がNOだと思います。
それらの思い込みの出処は、
「本で読んだ」
「テレビで見た」
「人から聞いた」
などの『二次情報』と呼ばれるものがほとんどだと思います。
二次情報は、分かりやすいし、何となくそれっぽいから、簡単に騙されるし、簡単に人を騙せます。
昔、テレビ番組の何とか大辞典であった、『納豆ダイエット』なんかと同じ話ですよね。
実は捏造だった、っていう話です。
僕の考えで仮説ですが、『遊びの制限』は全て親の思い込みによるものである、って思っています。
つまり、「なぜ、それをやってはいけないのか?」っていうのは、二次情報や世間体に行き着く、っていうことです。
事実としての根拠は無い、って思っています。
とは言え、理論に絶対に正しいなんてことはありえないので、僕の仮説も穴は探せばあると思います。
そもそも『仮説』ですし(笑)
でね。
僕らは、子どもに困ったことが起こらないように、事前に遊びを制限しておくわけですよね。
リスク回避の考え方としては優秀かもしれませんが、僕は、困ったことが起こってから考えればいいじゃないか、って思っています。
『遊びの解放』は、遊ばせすぎて何か困ったことが起こるかもしれません。
でも、起こらないかもしれません。
さっきも書いたように、『遊びの制限』は、親の安心感と引き換えに、子どもの才能の発現機会を奪います。
で、もし『遊びの解放』をしても大人になるまで何も困ったことが起こらなかったら・・・?
本当は、『遊びの解放』をしても何も困ったことは起こらないのに、「『遊びの解放』をすると何か困ったことが起こるかも・・・」という不安や心配で、『遊びの制限』をしていると、単に子どもの才能の発現機会を奪っただけになっちゃうんです。
親は安心して子育てをやり切った達成感や満足感はあるでしょう。
しかし、子どもが大人になった頃、自立しなきゃいけないのに、自分の意志で行動してこなかったから、いざ仕事を探し始めると、自分でやるには自信が無いし、そもそも何をやりたいのか分からなくなる。
さらに、何か得意なこと・・・って探しても、勉強ばっかりやってきたから、勉強しかできない。
親は子育てやり切ったからいいんですが、これから子どもの時代だ!っていう時に、子どもは何もできないし、何かやる自信もない、っていうことが起こります。
もしも『遊びの解放』で何も起こらないのに、何か問題が発生することを怖れて、『遊びの制限』をしていると、親の満足感だけが残るわけです。
じゃあ、何のための子育てなんだろう??って思うんです。
この僕の考えも真実かどうかは分かりません。
だから、実践する場合は自己責任でお願いします。
それも『自律学習』の考え方です。
自分で考えて、判断して実践して、何か起こったら、自分で対処しましょう、って考えですね。
これは子どももそうですし、親もそうですし、僕もそうです。
『自律学習』の根底にある考え方は、「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」っていう考え方です。
一見すると、誰かのせいにしてしまえそうなことでも、どこかで自分が必ず関与しています。
例えば、買った商品が不良品だったとします。
そうしたら、大抵の人はメーカーや、小売店のせいにすると思います。
それも間違ってはいないでしょう。
でも、忘れちゃいけないのは、知ってる知らないに関わらず、それを買ったのは『自分』っていうことです。
だから、買った商品が不良品だったのも自己責任です。
でね。
「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」っていう考え方は、言い換えれば、「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自分の思い通りになる」っていうことでもあるんです。
買った商品が不良品でした。
この時に考えたいのは、次に取れる行動は無数にある、っていうことです。
例えば、買った商品が安い電化製品だとします。
良品の場合って大切に扱うと思います。
不良品だからこそ粗末に扱うことに抵抗は少ないはずで、分解したり、壊してみたり、改造してみたり、普段できないことを躊躇なくできちゃうかもしれません。
そうすると、買った商品が不良品だったお陰で、ずっと気になっていたことが解消されたりするわけです。
一例に過ぎませんけど、他にも考えようによっては、いくらでも活用方法はあるわけです。
自分のやりたいようにやっていいんだ、って考えられていると、不良品だったからこそできることが見えてくるんです。
これが「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」っていう考え方です。
子どもに『自律学習』を身に付けてほしい最も大きな理由は、『夢を叶えてほしいから』です。
「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」って考えているからこそ、夢を叶えるのも、叶えないのも、自分の考え方や、行動一つで自由自在に変えられるんです。
夢を叶える途中で、誰か人のせいにしたりしない。
だから、自分の手で夢を叶えていける。
そう考えるから、運すらも引き寄せていくんです。
親が『遊びの制限』をしていると、子どもが身に付けるものがもう一つあります。
それが「人のせいにする」っていう技術です。
元々、親に言われてやったり、やらなかったりしているので、何か困ったことが起こったら親のせいにできるんです。
「お母さんが言ったから」とか、「お父さんに怒られたから」って言えちゃうんです。
自己責任じゃないんです。
自分で現実をコントロールしないんです。
「勉強を毎日1時間する」って言われて、その通りにやって成績が上がらないとします。
そうすると、「お母さんの言う通りにやっているのに」って言えちゃうんです。
『のに』です。
親からすれば『子どものために』っていう大義名分で『遊びの制限』をしているつもりだから、「人のせいにするな!!」って子どもを怒ることができるんですね。
でも、さっき書いたように『遊びの制限』って、親が得られるのって、安心感や満足感、「自分は子育てをがんばっているんだ」っていう親としての貢献感です。
つまり、『遊びの制限』は誰のための行動か?っていうと、『親のため』です。
『子どものため』っていうのは、幻想です。
だって、遊びを制限されても、子どもは嬉しくないですよね?
「やったーーー!!1時間しか遊べないぞーーーー!!!!」とはなりませんよね。
「え~~、もっと遊びた~~い」ってなるはず。
もしくは、「(親の期待に応えるために)分かった」ってなるはず。
だから、『遊びの制限』は、親が安心感や貢献感を得るために、子どもの才能の発現機会を犠牲にしているんです。
『犠牲』っていうと、おどろおどろしい言葉ですけどね。
勉強を突き抜けてほしい、って思う場合は、先に『遊びの解放』をしている必要があるんです。
だって、自分の好きなことで突き抜けている体験を持っているからこそ、「勉強も突き抜けてやろうかな」って思えるわけです。
自分の好きなことが「1時間しかできない」っていうんなら、自分の嫌いなことは「1時間もできない」ってなりますよね。
「自分の嫌いなことを際限なくやるぞー!!」とはならんわけです。
自分の好きなことを「1時間しかできない」んなら、自分の嫌いなことは「1秒たりともやりたくない」です。
自分の好きなことよりも、自分の嫌いなことをやりたがるのって、気が狂ってるんじゃないか、ってちょっぴり思います。
実際は、そういうことはほとんど起こりませんけどね。
で、最後に2つ質問です。
「子どもを突き抜けさせるのに、親自身は突き抜けた(やり切った)体験をしたことがありますか?」
「子どもに『遊びの解放』をするのに、今現在、親自身(自分自身)の『遊びの解放』はしていますか?」
これができていれば、子どもにもすんなりとできると思います。
これができていなければ、子どもをどうこうする前に、まずは自分自身のことから始めるのが先決だと思います。
『最後に』って書いたけど、あと一つだけ書きます(笑)
「自分に起こる全ての出来事は、100%全て自己責任である」って僕は考えています。
今の世代の親は、自分自身の親はどちらかと言えば、『遊びの制限』をバシバシやってきた世代だと思います。
ということは、今、子育てをしている親の多くは、「自分は好きなことをやってはいけない」っていう思い込みを作っている可能性があります。
でね。
その時に、「親に遊びを制限されてきたから」って考えることもできます。
しかし、「親の遊びの制限を甘んじて受け入れてきたのは自分だ」って考えることもできます。
この考えを受け入れるのは、だいぶしんどいかもしれませんけどね。
つまり、「今、親自身が遊べない」っていうのも、実は、自分自身がそういう人生を選択してきているだけ、って考えることもできるんです。
「親のせい」なのか、「自分のせい」なのかは、どちらが正しいかは分かりません。
ただ、「自分のせい」にしておくと、今の現状を自分の手で変えられるんです。
しんどいけど。
心はしんどくなるけど、その代わり、自分の手で自由自在に変えられるようになります。
だから、ぜひ、できる範囲でもいいから、親が自分自身に対して『遊びの解放』をしてあげるのも超オススメです。
ただし、実践は自己責任で(笑)