勉強出来ない奴が英語を使える様になるというお話
今日は良く聞かれたりする英語についてです。
僕が英語を使うのは使った方が伝えたいことが伝えられるという場合です。
つまり相手が日本語よりも英語を理解するというときです。
ただの言語はただの道具ですから。
その道具を使って何を作って行くか、の方が重要なんですよね。
僕は勉強が出来る方ではなかった(柔らかく言ってますw)ので
テストで良い点も取ることもなく、面白いとも思ったこともないです。
だから当然勉強なんかもしませんでした。
ちなみに英検は3級落ちてます。
でも今、多分英検1級持ってる人より使うことあります。
ビジネスでも使います。
プレゼンしたりします。
交渉したりします。
ケンカもします。
英語を使える様になりたいと思ってる人に言いたいです。
まず、貴方はその英語で何をするつもりですか?
やみくもにTOEICや英検などに向けて勉強してもその英語使えませんよー。
使える人と使えない人のボーダーは使わなきゃいけない理由があるか無いかです。
ポイントは英語が使えるか/使えないかであって、
100%nativeレベルかどうか、ではないです。
そんなことは分かっている、という人には僕の話を参考までに話します。
ちなみに楽器と一緒で、やってもやっても絶対にやりきることはないです、言語は。
完璧にはなりません。でも、使える様にはなります。
だから目的がないと果てしなく勉強しつづけなくてはならなくなります。残念。
さて、僕のケースです。
勉強が嫌い→故に結果は出ない→興味すら失う→勉強する気にならない
という負の連鎖でも英語は使える様になりました。
逆に言うと、そういう状態の勉強が出来ないと言われている人、
駄目な僕を参考にしてください。
まず話を端折っていくと、上記のような状況で僕はアメリカにいました。
当然言ってることが理解出来ず、伝えたいことも伝えられない、
ピザ屋に言って飲み物頼むとき「COFFEE」っていったら「COKE」が出てきたりするレベル。
そういう状況だとどうなるかっていうと、日本だと構ってもらえるんでしょうかね、
アメリカの僕がいた環境だと完全スルーされるようになりました。
コミュニケーションとれないから当たり前っすね。
もちろんできないなりにも勉強してみてるわけですが全然だめなわけです。
モールに行くとそこらへんの田舎のガキがお母ちゃんと英語で会話してるのを見て
なんであんなガキの英語が通じて俺の英語が通じないんだと卑屈になってました。
そのとき、あの子供は生まれてから特に英語を勉強したわけじゃないけど英語使ってんだよな、
とふと馬鹿なことを思ったわけです。あの子供がしてきたこと、それは英語を使う環境の
なかで普通に生活してきているだけ。むしろ遊んで毎日暮らして英語を習得してきたと。
あ、じゃあ俺も遊ぼ。
と思ったんですね。
つまらなくてまったく興味の無い勉強をするのではなく、
純粋に興味のあることに貪欲になろうと、向き合い方をシフトしました。
釣り、映画、ゲーセン、ビリヤード、ボーリング、スキー、TVゲーム、
外食、ホームパーティー、格闘技、そして音楽。
出来るだけ一人で完結しないように、誰かと遊ぶようにしてました。
でもTVゲームでいえばほぼ一人です。
で、なにやるかというとRPGやるんです。
当然言葉は英語。
ストーリーを掴めないと次何処行くとか何がミッションなのかも
わからなくなるので読みます。
長文読解力が向上しましたw。
格闘技の道場に片っ端から行って、「スパーリングやらせてくれ」って
回ったたら気がついたら指導員をやるようになり、日本の伝統空手を
アメリカ人の人たちに教えるということにもなったことで
自然と伝えなければいけない言葉を探して調べて、実際に伝えて行くという作業も
あくまでも英語は道具で、伝える内容が重要でした。
ギターを演奏できたので、そこからバンドでbarで演奏したりして
音楽用語は英語で教えてもらったりして専門的な語彙が増えた。
出掛けた先でいろんなシチュエーションに出くわすことで
いろんな英語の使い方を学びます。
ドライブ中に車が煙を噴いてレッカー移動が必要になったとき。
一生懸命「レッカー」いっても通じなくて「Towing」っていうのか、とか。
当たり前ですが、必要なことや教材は普通の生活の中にあったんです。
しかもrecreationの中にもあるっていう。
自分が出来ないことのなかで一生懸命やるよりも
自分が出来ることを一生懸命やっていた方が身になることがわかりました。
そして無理が無い。
そしてもっとわかったことは
言語はただの道具にすぎないということ。
大切なのはその道具を使って何を作って行くか、何を伝えあっていくかです。
real worldではそんなもんです。
英語が堪能でも、つまんないやつは相手にもされません。
僕がアメリカにいた初期のころは、言語というよりも人間として閉じていたんだと
思います。若かったんですかね。
今日本にいてもこういうは可能だと思ってます。
facebookで海外の同じ趣味を持つ人たちと繋がれます。
skypeだってできる。
入管の統計みるとものすごい外国人の人たちが日本に毎年来ている。
http://www.immi-moj.go.jp/toukei/
日本でもnativeのenlish speakerと出会うことも不可能ではない。
要はそれを求めるか、そして行動するかということ。
受験のために英語勉強して良い点をとってもそれは受験のために良い点をとっただけです。
そうやって大学に行った、じゃあその大学で何をするのか。
結構ゴールが受験だったりすること多くないですか。
歴史を作って行くというよりも、自分の未来を作って行くという感覚でいると
いろいろな考え方がひっくり返っていくような気がします。
という風に、学生時代勉強ができなかった僕は信じたいw。
いや言い訳として言い続けたい。
英語は道具に過ぎない。
でも、その道具を使えると作れるものが増えたりします。
伝えたいことが伝えられる相手が増えます。
入って来る情報網が増えます。
ネットワークが広がります。
これを体現することで証明していくしかないですね。
ま、給料は上がりませんけどね。
僕が英語を使うのは使った方が伝えたいことが伝えられるという場合です。
つまり相手が日本語よりも英語を理解するというときです。
ただの言語はただの道具ですから。
その道具を使って何を作って行くか、の方が重要なんですよね。
僕は勉強が出来る方ではなかった(柔らかく言ってますw)ので
テストで良い点も取ることもなく、面白いとも思ったこともないです。
だから当然勉強なんかもしませんでした。
ちなみに英検は3級落ちてます。
でも今、多分英検1級持ってる人より使うことあります。
ビジネスでも使います。
プレゼンしたりします。
交渉したりします。
ケンカもします。
英語を使える様になりたいと思ってる人に言いたいです。
まず、貴方はその英語で何をするつもりですか?
やみくもにTOEICや英検などに向けて勉強してもその英語使えませんよー。
使える人と使えない人のボーダーは使わなきゃいけない理由があるか無いかです。
ポイントは英語が使えるか/使えないかであって、
100%nativeレベルかどうか、ではないです。
そんなことは分かっている、という人には僕の話を参考までに話します。
ちなみに楽器と一緒で、やってもやっても絶対にやりきることはないです、言語は。
完璧にはなりません。でも、使える様にはなります。
だから目的がないと果てしなく勉強しつづけなくてはならなくなります。残念。
さて、僕のケースです。
勉強が嫌い→故に結果は出ない→興味すら失う→勉強する気にならない
という負の連鎖でも英語は使える様になりました。
逆に言うと、そういう状態の勉強が出来ないと言われている人、
駄目な僕を参考にしてください。
まず話を端折っていくと、上記のような状況で僕はアメリカにいました。
当然言ってることが理解出来ず、伝えたいことも伝えられない、
ピザ屋に言って飲み物頼むとき「COFFEE」っていったら「COKE」が出てきたりするレベル。
そういう状況だとどうなるかっていうと、日本だと構ってもらえるんでしょうかね、
アメリカの僕がいた環境だと完全スルーされるようになりました。
コミュニケーションとれないから当たり前っすね。
もちろんできないなりにも勉強してみてるわけですが全然だめなわけです。
モールに行くとそこらへんの田舎のガキがお母ちゃんと英語で会話してるのを見て
なんであんなガキの英語が通じて俺の英語が通じないんだと卑屈になってました。
そのとき、あの子供は生まれてから特に英語を勉強したわけじゃないけど英語使ってんだよな、
とふと馬鹿なことを思ったわけです。あの子供がしてきたこと、それは英語を使う環境の
なかで普通に生活してきているだけ。むしろ遊んで毎日暮らして英語を習得してきたと。
あ、じゃあ俺も遊ぼ。
と思ったんですね。
つまらなくてまったく興味の無い勉強をするのではなく、
純粋に興味のあることに貪欲になろうと、向き合い方をシフトしました。
釣り、映画、ゲーセン、ビリヤード、ボーリング、スキー、TVゲーム、
外食、ホームパーティー、格闘技、そして音楽。
出来るだけ一人で完結しないように、誰かと遊ぶようにしてました。
でもTVゲームでいえばほぼ一人です。
で、なにやるかというとRPGやるんです。
当然言葉は英語。
ストーリーを掴めないと次何処行くとか何がミッションなのかも
わからなくなるので読みます。
長文読解力が向上しましたw。
格闘技の道場に片っ端から行って、「スパーリングやらせてくれ」って
回ったたら気がついたら指導員をやるようになり、日本の伝統空手を
アメリカ人の人たちに教えるということにもなったことで
自然と伝えなければいけない言葉を探して調べて、実際に伝えて行くという作業も
あくまでも英語は道具で、伝える内容が重要でした。
ギターを演奏できたので、そこからバンドでbarで演奏したりして
音楽用語は英語で教えてもらったりして専門的な語彙が増えた。
出掛けた先でいろんなシチュエーションに出くわすことで
いろんな英語の使い方を学びます。
ドライブ中に車が煙を噴いてレッカー移動が必要になったとき。
一生懸命「レッカー」いっても通じなくて「Towing」っていうのか、とか。
当たり前ですが、必要なことや教材は普通の生活の中にあったんです。
しかもrecreationの中にもあるっていう。
自分が出来ないことのなかで一生懸命やるよりも
自分が出来ることを一生懸命やっていた方が身になることがわかりました。
そして無理が無い。
そしてもっとわかったことは
言語はただの道具にすぎないということ。
大切なのはその道具を使って何を作って行くか、何を伝えあっていくかです。
real worldではそんなもんです。
英語が堪能でも、つまんないやつは相手にもされません。
僕がアメリカにいた初期のころは、言語というよりも人間として閉じていたんだと
思います。若かったんですかね。
今日本にいてもこういうは可能だと思ってます。
facebookで海外の同じ趣味を持つ人たちと繋がれます。
skypeだってできる。
入管の統計みるとものすごい外国人の人たちが日本に毎年来ている。
http://www.immi-moj.go.jp/toukei/
日本でもnativeのenlish speakerと出会うことも不可能ではない。
要はそれを求めるか、そして行動するかということ。
受験のために英語勉強して良い点をとってもそれは受験のために良い点をとっただけです。
そうやって大学に行った、じゃあその大学で何をするのか。
結構ゴールが受験だったりすること多くないですか。
歴史を作って行くというよりも、自分の未来を作って行くという感覚でいると
いろいろな考え方がひっくり返っていくような気がします。
という風に、学生時代勉強ができなかった僕は信じたいw。
いや言い訳として言い続けたい。
英語は道具に過ぎない。
でも、その道具を使えると作れるものが増えたりします。
伝えたいことが伝えられる相手が増えます。
入って来る情報網が増えます。
ネットワークが広がります。
これを体現することで証明していくしかないですね。
ま、給料は上がりませんけどね。