の英文科はウィルキンソンカレッジという大学内のカレッジですが

先週スタッフやファカルティーが集まる「タウンホールミーティング」というのがありました。

議題は、「リベラルアーツとは何か、リベラルアーツとしての強みと弱みは」。

リベラルアーツの定義なんですが、ファカルティーは「基盤」「カレッジ内の学科の糊」

「知識のための知識追求」「批判的精神」「リーダーシップをとれるひとになれる」

という答えを出した。


間違ってるわけじゃないけど、随分生ぬるくて適当で断片的な定義だと思った。


それらの答えの根底にあるのは、独立精神を養う(Independent thinkerを作る)

ということだけども、自分の意見を尊重するのと同時に違う思想を持つひとの

自由と尊厳も守るような、だから独立した思想家になるだけじゃなくて

コミュニティーを作ることに努力できるような、ただ単に「知識のための知識追求」

じゃなくて「批判的精神」をやたら追うだけじゃなくてそれが結局ひとのためになるかどうか

考えることの出来るような生徒を作り出すのがリベラルアーツの使命だと思う。


海外では違う考えを持つ人同士と理解することを、外交を手段に使うことなく、

第二次世界大戦よりも長引いた戦争に突入していて

アメリカ国内では違う考えを持つ人同士が選挙をめぐって泥試合をしてるような

そういうときにリーダーシップをとれるひとを生み出すのを目指すべきじゃないのか。

今、異なった考え方を持つひとをすべてテロリスト呼ばわりすることでは何も解決されない。


という発言をしたお。


母校であるアマーストカレッジのPeter R. Pounceyの言葉が私はすごく好きです。

"A university or a liberal arts college, quite apart from any religious

affiliations, is pledged to a special faith of its own. It believes first that men

and women can live together in a community where they teach and learn

from each other…. A good college seeks not merely a coterie of the like-minded,

to reinforce convictions already formed, but seeks out every vein of talent

and opinion from every possible background, so that from the ferment of ideas

freely exchanged it can advance to new conclusions. Those who teach and

those who learn and those who support both with their work are thus bound

together in a common endeavor, with each other and with all those similarly engaged."


[大学やリベラルアーツ教育は、他の宗教的団体と違い、特別な信条にコミットしている。

それは、まず男女がお互いを教えあいお互いから学び合えるコミュニティーを作ることが

できるということで、、、優秀なカレッジは、似たもの同士の派閥ではなく、

既に形成された考え方をより強くしながらも、新たな結論に向かって、ありとあらゆる

バックグラウンドに由来する才能と意見を自由に交換することをめざす。

教える者も学ぶ者も、両者のできる仕事を支持する者も、その信条を貫く者同士

として力を合わせることである。]


少なくとも私はアマースト大学が提供したスカラシップ が道を拓いてくれたひと

なのでその精神を継ぐ教育者になりたいと思う。


アマースト大学が考えるリベラルアーツの言葉はこちら で。

ラヴアマーストエントリ。