その日、全てを終えて帰宅したのは15時前だった。遅めの昼食を摂り終え、ゴロンっと横になると、それまでの緊張と疲労が一気に解放された。私は気絶するかの様に意識を失っていた。

深い、深い、深い眠りから覚めても、意識は中途半端な空間を漂っている。辺りは薄暗く、または薄明るく、朝なのか?夕方なのか?私は判別ついていない。
身体を起こす。散らばり漂っていた意識が、少しづつ纏まりだす。嗚呼出勤の準備を始めなきゃ、っと意識した途端、急速に意識は一塊となり、鮮明化した。
今は、日曜の夕方だ。

緊張と疲労は、単なる緊張と疲労ではなく、過度の緊張と疲労だったようだ。
私は、脱力して、再びゴロンっと横になった。
そして、何処でも無い空間を見つめ、この数日間を振り返った。



父は厳しくて『ちゃんと』した人だった。
父自身『ちゃんと』していたし、私が幼い頃から『ちゃんと』する事を求めて続けてきた。
私は大人になる事は『ちゃんと』する事だと理解し思い込んだ。それが普通の事なんだと。

だが、私はそれに反発した。衝突もした。
『ちゃんと』なんてしない。普通になんてなりたくも無い。オレはオレを貫く。私は若かった。

年月は流れ。
私もそれなりに『ちゃんと』するようになった。いつしか普通の大人になり、それをいつしか受け入れていた。

そんな折、父をよく知る人に「お父さんは、いつも『ちゃんと』してますね」っと語られた。それも複数人から。それはまるで特別な事であるかのように。
それで、改めて父の言動、立ち振る舞い、身の回りの様子を見つめ直してみた。

そしてようやく理解できた。
父の『ちゃんと』は普通の事などではなく、特別で特上の『ちゃんと』だったのだと。
特別で特上の『ちゃんと』を私に見せる事で、それを自身で実行する事で、私を導こうと。

私が反発する事も織り込み済みで。少なくとも普通の大人として、普通に『ちゃんと』できるようにと。特別でなくても良い。自分のように『ちゃんと』し過ぎなくても良い。
ただ、普通に、っと。

父の目論見通り。私はいつしか普通の大人として、普通に『ちゃんと』出来るようになった。いつしかなっていた。
ここまで導いてくれた父には感謝しかない。
そして自慢の父だ。私はこの父の息子である事を誇りに思う。



その父が、金曜の夜、冥府に旅立った。

旅立つ直前まで、『ちゃんと』していた父。
まさに私の父らしい最期だった。
今頃、あちらで母と再会して『ちゃんと』やっている事だろう。


何度でも言う。
自慢の父だった。
息子であることを誇りに思う。