thinking about Future

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印象、記憶。
書き換え。

記憶に縋るという行為は普段からしていること
でも書き換えているかもしれない

それは少しだけ怖い かもしれない

ここに綴っているという時点で
記憶を記録している

それも怖い かもしれない


自分の中のものを吐き出している
でも一方通行なのか

暗記するときに、よくノートが黒に染まるように書きまくって覚える
というようなことがあるが

記録しまくることによって記憶するということでしょ

あ、でも最終的には吐き出すのか

あ、でも吐き出さないタイプもあるよね
妄想、空想その類


何でもかんでもメモすると記憶力が衰えるのか
逆に脳をよく使えばいいのか
でも便利さを求めた故のものが、この世界にはたんと転がっているわけで
使い分けるのか、そっか


自分の中のものを正しいと示すことが
時に残酷な出来事を引き起こすこともあって
偽善かどうかなんて結局わからない
自分の中のものを正しいと思うだけなら
何も起こらない ということでもないね

どのように痕跡をつければいいのだろう
誰でも同じ解釈ができれば正解か
むしろ皆それぞれ違う解釈ができたほうがためになるのか
自分の欲を少し削れば巧くいって それでいいか

悲しい事の方が跡がつく
引っ張られる
閉じ込められてしまう
ある意味、進むレールが限られている

忘れたいから吐き出すことだってあるかもしれない
忘れたくないための事の方が多そうだけれど



まとまりのないものをまとめる必要があったのか





思うことが原動力で実際の行動ができるとすれば、
その思うこと自体の原動力、源って何なのだろう。


そいつは意外と生々しくてえぐいものだと思う。
あ、ほら、また思ったでしょ。


本能なのかな。
巧いように抑制できないもんね、
想像とか考えとかを巡らせることって。
だって頭を働かせることっていいことだ(と思っている)よね。


というか、抑制する事自体が思いの一つなのか。
思いを思いで潰す。
やっぱ、思っていなきゃ人間らしくない。
生きている心地がしない、か。
いや、でも行動しないことこそ、生きている心地がしないような気もする。


自分の中で思いを燻ぶらせて、
じっとしている感じが。


僕は直感がいまいちわからない。
というより、無い。
直感=センス、ってなったら、また違うけれど。
 

直感というのは、考えていないのかな。
それとも、判断力が半端ないってことなのかな。
自然的なもの?
わからない。


でも、直感ってことばを使うときって、
その後が良い感じになったときだけだよね、イメージ的に。
駄目だったら、運が悪いみたいな括りでまとめられるね。
やっぱ大切なときはじっくり考えるのがいいな。
僕は。

よし、色々なことを思えたので、終着。


何かを知る都度、ほんの少しだけ自分の何かが痛む毎日

視点を変えて見ることも精一杯な毎日


惰性に任せて自分が居なくなっているような感覚に陥っても
生命力を刺激する世の中、ありがたいのか、恨めしいのか



この広い現実からピックアップされて掲げられている物事
何故だろう、気分が悪い
別に、人間なんて毎日誰かしら死んでいる
その事実に慣れ過ぎているからこそ
異質な部分へ歩んでしまう


見えない、のではなく、見ていない
これから見れるかもしれない
でも、少なくともこっそりと動いて、ざっくりと鎮められてしまうのでは。
注目の陰にいるぴったりと貼り付いている現象
深く探れば、いつのまにか戻れぬ場所にいてしまうのか


ある意味、純粋というのは楽かもしれない
ずるいかもしれない
子どもの瞳の奥に何が詰まっているのかなんて誰にも判らない
もしかしたら何も無いのかもしれない


面倒な時に雑に返事をすることと同じだ
100よりは0にする
その行為が後でとてもつもなく煩わしい事態を引き起こす可能性も
充分あるわけで
それを見込んで使い分けるのがまた、ずるいところ



ある程度基礎が完成したら
その形を直したり、新品にしたりすることは、僕にはもうできない
随分前にどこかで何かがきっちり潔く心地よくはまる瞬間があったんだ
その正体、時間、場所、は知れない

ころころ枠を変えることはできていたがいつしか難しくなってしまったようだ

とりあえず、夏の終わりがこれほど待ち遠しいのは、今年だけだろう