2014年8月レンヌでの学会とヨーロッパのユダヤをめぐる旅
レンヌはパリCDGよりTGVで2時間半のところにあります人口約20万人の地方都市です。レンヌでの学会はあまり気乗りがしなかったのですが、ネットで調べているうちにドレフュス事件の再審が行われたという記事を見つけ俄然やる気がおきてきました。ネットでビジネス往復航空券(特典チケット) が1か月半前でしたが本当にLUCKYなことに見事大当たり!またドレフュス事件を調べるうちにユダヤ問題が大きく関与していることがわかりフランクのゲットーにも行ってまいりました。写真はレンヌの旧市街で中世の街並みです。建物がゆがんでいますが、上手くささえあい倒れずに立っています。上の階の床はどうなっているのかなと素朴な疑問をいだきました.

レンヌは小さな町ですがレンヌ大学の博物館があり写真のようなミイラやエジプトの発掘物を展示してありました。

印象派の絵画(写真はシスレー)もそこそこ展示されており、地方の都市にしては立派な博物館でした。

レンヌ高等法院です。立派でしょう。ですが、ここではドレフュス事件の再審は行われていません。ドレフュスは軍人で当然のことながら軍法会議は違う場所で行われました。ドレフュス事件は世界史でつとに有名な話ですが、大佛次郎先生の著作「ドレフュス事件」に詳しく綴られています。かいつまんで述べますと、普仏戦争でフランスがドイツに負け領土の一部をドイツに割譲されます。そのような対ドイツの非常に悪い感情が渦巻く中、フランス軍参謀本部にドイツのスパイがいることが発覚します。ほとんど証拠のない中ユダヤ人将校のドレフュスが完璧な冤罪で逮捕されます。その後の半生のほとんどを冤罪を晴らすため本人、家族が奮闘します。北アフリカの悪魔島に幽閉され絶望的な状況に追い込まれますが本人は自身の名誉のため戦います(昔パピヨンという映画があったことを思い出しました)。問題点としてドレフュスがユダヤ人であったこと(キリスト教徒はイエスを裏切ったユダの子孫としてユダヤ人を差別します。逆の言い方もできてイエスを生んだ偉大な民族ユダヤという言い方もできると思いますが・・・)、戦争に負けた不満のはけ口を民衆が強く求めた、冤罪においては国家がすべての情報を管理できますし、不都合なものは公開しない、思うにドレフュスにとってすべての悪条件が重なったのではないかと思いました。身につまされて思うのですが、日本でも最近この手の検察の失態が明らかになりましたが、国家権力はすべての証拠をその中に持ち冤罪だと思っても組織と権威を守るためしらを切ります。冤罪とはこのようにして生まれるのだなとドレフュス事件を調べて空恐ろしくなりました。
見つけました!ホテル(レンヌにはいいホテルはありませんでしたが)の受付のお兄ちゃんといろいろ調べついにみつけました。ここがドレフュスの再審が行われたところです。北アフリカの悪魔島から船で連れてこられ本人は無罪を確信してレンヌの裁判に臨んだことだと思います。結果はあらためて有罪。どんなに落ち込んだことか。でもドレフュスはあきらめることなく新たな戦いを続けます。

今はエミールゾラ・リセ。ゾラはドレフュスを弁護してイギリスへの亡命を余儀なくされます。一流でない新聞に載せた文章でドレフュス事件に対する世論が沸騰し結果ロンドンへの亡命を強いられます。ゾラは偉い。このときプルーストは学生でゾラを支持して行動を起こしていたそうです。中を見学しようとしたらダメ出し。学校だから変な事件も多いしひょっとしてモスリムに間違えられたかもしれませんが・・・。

学校に据え付けてあったパネル。この写真は本で知っておりここが裁判の場所であることを確信いたしました。中央横向きに歩くのがドレフュスです。ドレフュスはその後無罪を勝ち取りフランス軍に復帰しております。大佐になったと書いてありましたが信念を曲げることない軍人の中の軍人。 さて、レンヌはサン・マロやカンカルにも近くおいしいSEA FOOD RESTAURANTがあります。オマールうまかったです。