秋のザルツブルグ(その1)
ザツルツブルグ。みなさんは何を思い浮かべますか?ほとんどの方がモーツァルトやサウンドオブミュージックを思い浮かべられると思います。ザルツブルグ。今はオーストリアの領土の一部ですが8世紀から続く大司教領で独立国家として1000年の長きに渡り繁栄を続けてきた都市もしくは国家であります。大司教領とは宗教のTOPと皇帝が一つになったようなもので絶対の権力を持ち、いわば例えて言うならば本願寺の宗主が大阪一体を支配したようなものかなと思います。ザルツとは元々塩の意味ですが近くで取れる塩の運搬に関税をかけ、莫大な利益、財源となりました。このような美しい街ができるのは財政的裏付けがあるわけで、その裏には17世紀のある人物の功罪があると思います。天気にも恵まれましたが(ザルツは2日に一度は雨がふると言われています、ツアーに参加した時のガイドはexceptionalと言っていました)、純粋にザルツは美しい街だなとつくづく思いました。
ザルツアッハ川から見た旧市街、ブルグとレジデンツ、大聖堂を望みます。話変わりますが、ドイツ語で「城」を表現するのにブルグとシュロッスがありますが、その違いはと言いますとブルグは「戦闘用の城」シュロッスは「殿様の住居用の城」を言うそうです。
京都でもパリでもロンドンでもNYもそして東京でもみんな川が流れています。川の流れる街はほっとします。
ザルツの目抜き通りです。カンバンを見ているとカナダのケベックを思い出しました。
モーツァルトの生まれた家です。中は写真が禁止でしたのでありませんが、ピアノや自筆の手紙などがありました。モーツァルトの書簡集を読むと、ザルツにはおそらくいい印象を持っていないと思いますし、大司教と大喧嘩をし宮廷音楽家をやめています(組織からはみ出した)。モーツァルトは甘美な音楽を作っていますが、その人生は特にその後半苦労の連続で何度も何度も借金の依頼をしていますし、就職口を求めて奔走しています。伝記などを読んでいると気の毒なくらいで、最後はウィーンの共同墓地に、麻袋か何かに入れられて放り込まれたと言われています。実際正確な墓地は特定されていませんし(大体はわかっていますが)、他の有名な音楽家達がウィーンの中央墓地で眠っているのと対照的です。余談ですが、モーツァルトはドイツ人かオーストリア人かという議論が有りますが、モーツァルト自身はバイエルン人と言っておりどちらかというとドイツ人なのかなと思いました。モーツァルトでいうと色々なエピソードがありますが、若くして成功すると後半苦労するのかなと思いました。
カラヤンの生家です。川のほとりにあります。中学校の頃クラシックをよく聞いていましたが、楽団員を睨みつける怖い顔をしたカラヤンを思い出します(がんセンターにもいたなー、そういう人)。
ミラベル宮殿です。17世紀の大司教が愛人のために建てた宮殿と言われています。愛人と言われていますが、基本的に当時の司教は結婚できなかったので、愛人と言われていますが「奥さん」でいいのだと思います。ただし、ただしなのであります。基本的に司教は神に一生を捧げる身でなのでそれは御法度であります。裏話をしますと、この司教さんザルツの大司教になる前にローマの法王庁に修行に出されます。そこの坊主がやりたい放題で、それを見ていてこんな美味しい商売はないとザルツに帰ってやりたい放題(少し言いすぎかもしれませんが)。大都会から戻った司教さん。街をローマにすべく大改造をします。美しい大聖堂が残っていますが、昔の大聖堂に放火し建て替えさせたのではないかと言われています。ローマの腐敗を見て同じようにはしる人とマルチン・ルターのように宗教改革に向かう人と人生様々であります。わたくしはエピキューリアンとして是々非々でいきたいと思います(わが恩師もそうだと思いますが)。
ザツルツブルグ。みなさんは何を思い浮かべますか?ほとんどの方がモーツァルトやサウンドオブミュージックを思い浮かべられると思います。ザルツブルグ。今はオーストリアの領土の一部ですが8世紀から続く大司教領で独立国家として1000年の長きに渡り繁栄を続けてきた都市もしくは国家であります。大司教領とは宗教のTOPと皇帝が一つになったようなもので絶対の権力を持ち、いわば例えて言うならば本願寺の宗主が大阪一体を支配したようなものかなと思います。ザルツとは元々塩の意味ですが近くで取れる塩の運搬に関税をかけ、莫大な利益、財源となりました。このような美しい街ができるのは財政的裏付けがあるわけで、その裏には17世紀のある人物の功罪があると思います。天気にも恵まれましたが(ザルツは2日に一度は雨がふると言われています、ツアーに参加した時のガイドはexceptionalと言っていました)、純粋にザルツは美しい街だなとつくづく思いました。
ザルツアッハ川から見た旧市街、ブルグとレジデンツ、大聖堂を望みます。話変わりますが、ドイツ語で「城」を表現するのにブルグとシュロッスがありますが、その違いはと言いますとブルグは「戦闘用の城」シュロッスは「殿様の住居用の城」を言うそうです。
京都でもパリでもロンドンでもNYもそして東京でもみんな川が流れています。川の流れる街はほっとします。
ザルツの目抜き通りです。カンバンを見ているとカナダのケベックを思い出しました。
モーツァルトの生まれた家です。中は写真が禁止でしたのでありませんが、ピアノや自筆の手紙などがありました。モーツァルトの書簡集を読むと、ザルツにはおそらくいい印象を持っていないと思いますし、大司教と大喧嘩をし宮廷音楽家をやめています(組織からはみ出した)。モーツァルトは甘美な音楽を作っていますが、その人生は特にその後半苦労の連続で何度も何度も借金の依頼をしていますし、就職口を求めて奔走しています。伝記などを読んでいると気の毒なくらいで、最後はウィーンの共同墓地に、麻袋か何かに入れられて放り込まれたと言われています。実際正確な墓地は特定されていませんし(大体はわかっていますが)、他の有名な音楽家達がウィーンの中央墓地で眠っているのと対照的です。余談ですが、モーツァルトはドイツ人かオーストリア人かという議論が有りますが、モーツァルト自身はバイエルン人と言っておりどちらかというとドイツ人なのかなと思いました。モーツァルトでいうと色々なエピソードがありますが、若くして成功すると後半苦労するのかなと思いました。
カラヤンの生家です。川のほとりにあります。中学校の頃クラシックをよく聞いていましたが、楽団員を睨みつける怖い顔をしたカラヤンを思い出します(がんセンターにもいたなー、そういう人)。
ミラベル宮殿です。17世紀の大司教が愛人のために建てた宮殿と言われています。愛人と言われていますが、基本的に当時の司教は結婚できなかったので、愛人と言われていますが「奥さん」でいいのだと思います。ただし、ただしなのであります。基本的に司教は神に一生を捧げる身でなのでそれは御法度であります。裏話をしますと、この司教さんザルツの大司教になる前にローマの法王庁に修行に出されます。そこの坊主がやりたい放題で、それを見ていてこんな美味しい商売はないとザルツに帰ってやりたい放題(少し言いすぎかもしれませんが)。大都会から戻った司教さん。街をローマにすべく大改造をします。美しい大聖堂が残っていますが、昔の大聖堂に放火し建て替えさせたのではないかと言われています。ローマの腐敗を見て同じようにはしる人とマルチン・ルターのように宗教改革に向かう人と人生様々であります。わたくしはエピキューリアンとして是々非々でいきたいと思います(わが恩師もそうだと思いますが)。