映画「ジョアン・ジルベルトを探して」は2018年に完成、日本では2019年8月に公開。

その1ヵ月前、2019年7月にジョアン・ジルベルトは死去しました。

 

ボサノヴァはカフェやレストラン、あらゆるところで流れている日本人には馴染み深い音楽です。軽くて気さくなラテン音楽という感覚。

 

けれど映画中で、ボサノヴァの父と呼ばれるジョアン・ジルベルト(以下、ジョアン)は、彼を知る人たちから『簡単に人を寄せ付けない』『出会った人を変えてしまう』『人たらし』『彼のせいでまた人生が変わってしまう』など捉えどころのない自己中人物として数々のエピソードが語られています。

 

ドイツ人ジャーナリストのマーク・フィッシャーが、人前から姿を消したジョアンを探すためにブラジルを旅し、願い叶わず自身の著書の出版直前に亡くなったのが事の発端です。Ho-ba-la-la(オバララ)というボサノヴァの代表曲を彼自身に歌ってもらいたかったとあります。次にフランス人映画監督ジョルジュ・ガショ(以下、監督)がマークが残した本をたよりにがジョアンを探し始めるところからこの映画は始まっています。

 

映画1本を通してずっと流れている様々なボサノヴァ。ジョアンの歌声や、日本語字幕の歌詞、ジョアンを知る人々の話し声、テンポ、表現を味わっていくにつれ、深い喜び、幸せ、恋、永遠、そんなことを歌う濃い~い深淵な音楽なんだなあと感じました。

 

ボサノヴァが生まれた約50年前はささやくように歌うこと自体が型破りだったようで、ジョアンがトイレでその反響を利用して歌いつづけ試行錯誤しつづけその声とギターを生み出したエピソードをきくと、その突き詰め方には「憑りつかれている」感があります。

 

ここのシーン以外でもポルトガル語、ドイツ語が分からないので字幕を追っていくのですが、哲学的、官能的で全部止めて考えないと分かりません。それだと何時間かかるか分からないので、これまで劇場で1回、レンタルで1回、普通の速度で観た2回で感じることだけ感じとることでOKとしました。もし次に観ることがあればそれはそのときに委ねます。

 

ジョアンが人前から姿を消し、世界と断絶した生活を始めたのは「人間が嫌いで耐えられないのだ」とかあるいは「愛しすぎて耐えられないのだ」とか言われているというくだりがあります。なんかわかるなあ(いやいやホントですってば)。

 

これが最初にジョアンを探してたマーク↓

 

監督もジョアンに逢い「オバララ」を歌ってもらいたいのです。ジョアンとゆかりのある/あった人たちに「生きているのか」「どうしたら逢えるのか」「どこにいるのか」を聞いて回ります。奥さんのミウシャ、昔の音楽仲間はもちろんですが、今現在ジョアンと接触しているこんな人たちにも会っていきます。

 

毎日食事を作り持って行っていると言うコック↓ちなみに姿は見たことがないとのこと

 

ジョアンの散髪をしているという散髪屋(右)と監督(左)↓

 

 

ジョアンがいる場所を知っている人はみんな口が堅いんですねえ。ジョアンが嫌がることを決してしないのです。他にも秘密があるかのようにも聞こえる彼らの言葉。

 

映画の終盤、監督とミウシャがカフェで話していると、ミウシャの携帯が鳴り監督の目の前でミウシャが誰かと話をするシーンがあります。「もしかして電話の相手はジョアン?」空前のチャンス到来! 

 

 

このあとの展開は書かないことにしました。この映画観るぞっていう人のために(どのくらいいるだろうか(;^_^A)

 

この映画、分りづらいとかジョアンの生い立ちがわからなくてつまらんとか低く評価されがちのようです。が、マークや監督のみならず登場人物が発する言葉が率直かつ哲学性を帯びていること、それを読む監督と監督自身の言葉が混ざり二重構造がごちゃっと聞こえがちということ、嘘かもしれないことと真実が整理されすぎていないこと、などに要因があるんじゃないかなと思います。

 

監督がどうやったら伝えたいことが伝わるのかと工夫しまくった結果だと私は思ってます^^ そこに一番の感動を持ったといっても過言ではありません。分かろうとしなくていいのでしょうね。

 

ジョアンジルベルトの「オバララ」のYouTube音源ありましたのでどうぞ↓

João Gilberto - 11 - Hô-bá-lá-lá - YouTube