8 1/2 (はっかにぶんのいち)は、フェデリコ・フェリーニ監督、マルチェロ・マストロヤンニ主演の作品です(1963年)。

 

大学1年のとき映画研究会に入っていた同級生に誘われ丸の内ピカデリーで観たのが最初。始まる前に「何年間も映画雑誌で一位をとってる映画」だと教えてもらいました。キネマ旬報の海外映画名作ランキング(その年の映画ランキングじゃなくその年までのすべての映画のランキング、いわゆる ”オールタイムベスト”)で毎年一位の作品だとのことでした。そのときから何十年も経ったので(;^_^A 最近のデータを調べてみたら2012年の結果がネットで見つかりました。8 1/2 は4位でした。1位は「東京物語」、2位「2001年宇宙の旅」、3位「市民ケーン」。今でも常連組なんですね。

 

映画が始まると「ん?なんじゃこりゃ」と頭の中はクエスチョンマークだらけに。映画館を出たあと喫茶店で話がはずまない私たち。私は「しゃべったらバカがばれる・・」と焦っていた思い出があります。

 

そのあと数年ごとに観ては「なんか惹かれるんだけど正直よくわからないな~」という感想がが続いた映画でした。 


そしてやっと先週、最後に観てから少なくとも数年は経ってますが、見直したのでした。この映画についてなにかしか語りたい。なのでちょっとトライしてみます。

 

いまあなたが考えていることは・・夢がかなう呪文「ASA NISHI MASA」?↓

 

映画前半は映画監督役マストロヤンニ(以下、グイド)の新作映画撮影が難航している現実、グイドの頭の中で構想されているシーン、グイドの追い詰められた精神状態から見た人間と世界、子供の頃の回想などがなんの説明もなくコラージュのように切り替わっていきます。製作陣、役者、浮気相手が次から次へグイドに要求を突き付けてくる。子供時代のママとパパのグイドへの目線は冷ややかで他人のようです。

 

構想する映画のなかで唯一救いになりうると思えた女性の「きちんと清潔にしたい」というセリフから、救いにはなりえないというメッセージが私たちに伝えられたところで、グイドは妻に電話をかけて撮影現場に呼び寄せます。このあたりから映画が切り替わる感じがします。

 

唯一救いになりうる・・と思った女↓

 

簡単にいうと、グイドのセリフ「正直で嘘のない映画を作りたかった。うちなる死を葬る映画。だが葬る勇気がなかった。混乱でいっぱいだ。どこで間違えたのか。でも語りたい」にもあるとおり、主人公は正直な自分を映画で通して表現したいんだなということが分かってきます。でも浮気癖が治らない、妻からすれば嘘だらけの男。「そうだ、ハーレムをつくれば妻も複数の女も全員を愛することができる(嘘をつかなくて済む)」という考えじゃないかと推察しますが、ハーレムでも浮気相手(軽めのも重めのも)からグイドは心から愛されれば愛されるほど、その愛に応えられないことが判明する。ハーレム案はボツ。

 

ハーレムのシーンの前に、子供の頃に出会ったサラギーナとのエピソードがあります。

カトリック信仰の根付いた社会からは忌み嫌われる存在、サラギーナ。なぜかというと秩序の外側にいるから。獣のような眼で遠慮会釈なく見たいものを睨みつけるし、ぼろぼろの服をまとった半裸で、べったりとした髪を乱れたままに、子供たちにリクエストに応えて踊る。踊りはサラギーナ流。自分の内から湧き出る思いに任せて踊る。

 

サラギーナ↓

 

少年グイドはサラギーナといたことが学校にばれてしまい「恥を知りなさい」と罰を受けます。さらに懺悔室で神父様に「サラギーナは悪魔なんだよ」と言われます。少年グイドのセリフは「愛していた。正直なサラギーナ」。さらに「抑制できないコンプレックスを抱えている」とグイドがいうシーンがこの辺にあったと思います。

 

シーン変わって、映画撮影の合間にグイドが枢機卿に会うシーンがあります。

グイド「私は幸福ではありません」

枢機卿「・・教会の外に救済はない」

つまりつまり、教会という建物を出たら、この世に幸福があるなんて期待しちゃいけないよということ。

 

この機会にきかなきゃ↓

 

なんだかんだあって(かなりとばした)

「人生はお祭りだ。一緒に過ごそう」

ラストのグイドの有名なセリフがあり、映画が中止となってセットで登場人物が輪になり駆けだします。

映画が中止になって登場人物が回りだすというフェリーニの映画が完成です!

 

ここなんともいえない↓

 

最後に今回観て分かったこと。

グイドが抱えていた長年の「コンプレックス」って、正直なサラギーナを愛する自分が恥ずべき存在だとされる教えが植え付けたものだったのかなと思います。自分を恥ずべきなの?いや恥ずかしくない!誰に否定されてもサラギーナは素晴らしいと言い続ける!そう言いたかった人間の映画なんだと思いました。

 

人間ってどんなに否定されても、どんなに権力で抑え込まれても、親にも見放されても、魂でつかんだ感覚はなくせないし本当は自分が自ら否定する気なんか1ミリもないんじゃないかと思います。それくらい私たちは本当は自分を信じている。ただ思い出せなくなったり混乱したりするだけで。思い出さない方が安全なときは思い出しにくいし。

 

数年あけて今回観たあとの私の感想は、つくりは凝ってるけど実はとってもシンプルな、とっても純粋な映画なんだなと思いました。ひとまず今回はこれでよしとします^^