1982年のアメリカのSF映画、ブレードランナー。リドリー・スコット監督。ハリソン・フォード主演。
先日はファイナルカット版を観た。
21世紀初頭(つまり2001~2010年頃)にレプリカントと呼ばれる人造人間が発明され、奴隷として過酷な宇宙探索や戦闘などに従事させていたのだけれど、レプリカントが感情をもつようになり反乱、地球に脱走、2019年酸性雨が降りやまないロスアンゼルスで最後の”4匹”のレプリカントを特捜捜査官が抹殺するというストーリー。
抹殺の任務を負う特捜捜査官をブレードランナーといい、ハリソン・フォード演じるデカードがその任を受ける。
-- ネタバレご了承ください --
印象的なシーンをご紹介。
最後の”4匹”のうちの一匹が、レプリカントか否かのテストを受ける冒頭のシーン↓
それは感情を揺さぶるようにデザインされたテスト。
特捜捜査官「砂漠で亀に出くわす。君は亀をひっくり返すと亀はバタバタしている。それを君は助けない。それはなぜ?」
レプリカント「・・・」(答えられない)
観客にレプリカントの『感情』に最短で注意を向けさせている秀逸なシーンですネ。
ただし人間を敵視している最後のレプリカントかもしれない相手に丸腰で向かい合うのはリアルじゃないのでは?いやいや余計な水を差すのはやめよう、、。だってこのシーンがいいから!
製造後数年たてば感情をもつようになり、それが面倒を引き起こすため安全装置が組み込まれた。安全装置とは寿命は4年間だけというもの。最後の3匹のレプリカントはタイレル社(レプリカントを発明・製造した企業)にあらゆる手段で入ろうとする。その目的は寿命を延ばすよう設定を変えてもらうこと。
上の4匹以外にもう一匹、レイチェルというレプリカントが開発されていた。レイチェルはタイレル社の試作品で人間以上のレプリカントとして製造された。感情を揺さぶるテストでは通常20-30問でレプリカントかどうか判明するところ100問以上でやっとレプリカントと判明する優秀なモデル。
レイチェルに感情が芽生えイライラすることが多くなったため、落ち着かせるためにタイレル博士の姪の記憶が移植された。そのことを告げられ涙が湧き出るレイチェル。取り乱して帰る。デカードがレプリカントの悲しみに触れるシーン↓
ところでデカードは先の4匹を一匹ずつ足で追いかけて拳銃で抹殺する。レプリカントの怪力ぶりもちょうど人間を上回るか上回らないくらい。もっと怪力設定でいいと思うけれど、泥臭い死闘が繰り広げられるのでそのアナログ感がはらはらさせてくれる。
デカードに惹かれるレイチェル、レイチェルに惹かれるデカード↓
この角度のロマンティックなラブシーンは私的にはほかで観たことがない。
私がこの映画をトップ5くらいにかっこいいと思っていた頃(1990年初頭)はこのシーンの印象が全然なかった。何をみていたのだろうか・・? 今回観なおして超絶いいラブシーンだなと思った。今回みたのがファイナルカット版だから? 時間もないので元のバージョンと比較してません。
レイチェルの「私を離さないで!(I want you to put your hands on me ! ) 」という台詞は、もう人間です。
ロイはレプリカントを発明したタイレル博士を殺害し、寿命を延ばす道は断たれる↓
4匹のうちの最後の一匹、ロイがデカードを追い詰め、ストロングスタイルの死闘、死闘。デカードの命もこれまでか、とビルの谷間に落ちる瞬間、ロイがデカードの体をつかんで引き上げる。そして語りだす。
ロイ「恐怖の連続だろう。それが奴隷の一生だ(quite an experioence livining in fear. That's what it is to be a slave.)」
ロイは宇宙の果てで何を見てきたのだろうか。どんな恐怖を味わってきたのだろうか。
そして誰の目にも明らかと思うので書くと、ロイの手に突き刺さった釘はイエス・キリストを象徴していると思う。
それに語りだしたロイは白い鳩を抱いている。これも聖書に関係している。癒しと平和の象徴。
お、急になんだなんだ。
ロイ「死ぬ時がきた」
ロイがうつむく。亡骸のように見える↓
そういえば最後にユニコーンの折り鶴。これは癒しと幸福の象徴らしい。デカードとレイチェルのラブシーンの前にユニコーンの白昼夢をみていたので伏線回収になっている。レイチェルもまた4年しか寿命がない。けれど二人はともに逃げることを決める。その先の希望をほのめかしているように見える。。
やっぱり愛という感情が生まれたら人間かレプリカントかは問題じゃなくなるんだなあ。人間って結構いい加減。
そのほかのみどころ:
携帯電話がない1982年製作だから、2019年の公衆電話がこんな感じになってる↓
高機能機器もこんなおもちゃみたいな見た目なところが面白い↓