最近、懐メロ祭りを絶賛開催中の私。
「あなただけ見つめてる」――大黒摩季
この曲が流れてきたとき、思わずハッとして、聴き入ってしまった。
あなたに賭けてみる
地味に生きていくの あなただけの女
...うん、強い。強烈。
90年代女子の覚悟の深さに、今さら震える。
この曲が発売されたのは1993年。
私は当時18歳。
そう、あの頃はそういう時代だった。

女は結婚してナンボ、だった時代
当時は、「結婚=勝ち組」「家庭に入る=成功」「キャリアは結婚までの腰掛け」なんて価値観が、そこら中にこぼれ落ちるように溢れていた。
そんな空気の中で、「あなただけの女」になりたくて、「地味に生きてく」ことが“幸せ”だと思っていた。
それもアリと思ってたよ、あの頃は。
でも、令和の今、アラフィフの私は思う。
...え、それ、地味にしなきゃダメだったの?って。
料理も頑張るのが女の仕事
「お料理も頑張るから」
この一文の後ろには、「女の武器は胃袋」という価値観が、レシピ本よりも分厚く詰まっていた。
ハンバーグ、肉じゃが、唐揚げ...それらは恋の武器であり、結婚の手段であり、幸せのレシピと信じていた。
「この人に一生ついていこう」と思えたら勝ち。
女性は“ついていく”もので、“選ばれる”ものだった。
まるで、人生のハンドルは常に誰かに預けるものだと、当然のように教えられてきたのだ。
自分だけ見つめてく人生
令和の今、「自分らしく生きよう」「私を大切にしよう」なんてキーワードが飛び交う時代に、この歌詞はある意味、強烈。
「あなただけ見つめてる」の裏には、「自分を見つめる時間がなかった」私たちの姿が透けて見える。
彼の好みに寄せた服、彼のスケジュールに合わせた予定、彼のために控えた夢やキャリア。
気づけば、鏡の中の自分がちょっと他人みたいになっていた。
でも、当時はそれが「愛」だと思っていたのだ。
そう信じていたからこそ、この曲が胸に刺さりまくったのだ。
でも、あれも青春だったんだよね
今振り返ると、あの「賭けてみる」というセリフは、無謀で無垢で、ちょっと切ない。でも、そんな時代だった。
今なら思う。
賭けるなら、誰かじゃなくて「自分」に賭けたい。地味に生きるくらいなら、派手でも変でも、私らしく在りたい。
でもだからといって、当時を否定するわけじゃない。
あの頃「あなた」だけを見つめていた私たちだって幸せだったはずだから。
令和版『あなただけ見つめてる』があったなら
きっと今なら、こう歌うだろう。
原曲(1993年):
あなたに賭けてみる
地味に生きていくの
あなただけの女
令和風(2025年):
わたしに賭けてみる
好きに生きてみるの
わたしだけの人生
こんな感じかしら?!

令和の私たちは、もう“あなただけ”に全てを賭けたりはしない。
けれど、かつてそうやって誰かを一途に思えていたのもまた素敵だと思う。
今日もAmazon Musicで再生ボタンを押しながら、ふと思う。
「あなただけ見つめてた」時代があったからこそ、今、「自分だけ見つめてる」人生が、ちょっと誇らしい。