去年、夏のある日。
息子がマイクラ(Minecraft)のゲームにどハマりし、連日「建築!冒険!村人!」な日々が始まった。
最初は微笑ましく見ていた。
でも、ある日ふと気づく。
これ、もしかして...ゲーム中毒の入り口?
ゲームが子供の脳に与える影響を知って、iPadを買い与えたことを激しく後悔した。
そして、決断した。
Wi-Fi、撤去。
ものすごくアナログな対処法。
でも、決断というのは時にシンプルであるべきなのだ。
ただ、ここで誤算。
マイクラ、Wi-Fiがなくても遊べた。笑
...根本的な解決にはならなかった。

そしてテレビは捨てられた
そんな中、年末年始はシンガポール旅行&軽井沢滞在。
息子の意思で、iPadはお留守番。
シンガポール滞在中、息子が体調を崩してしまい
ほぼ部屋で過ごすことに。
シンガポールに何しに行ったんだ?!状態だったが、物理的にゲームと距離を置けだけでも、意味のある旅行だった。
少しずつゲーム時間が減ってきたから。
その流れで、今回の引越しを機に我が家は思い切った。
テレビを捨てた。
私の決断には、それなりの考えがあったのだ。
テレビって、ついつけちゃう。
そして、つい観ちゃう。
気づいたら1時間。え、もうこんな時間?という謎のタイムスリップ。
それって...もしかして、人生の無駄遣いでは?
成長期の子どもにとって、
“受動的に与えられる情報”がどれだけいいものなのか。
一度立ち止まって考えてみたら、なくてもいいのでは?という境地に至った。
静かなリビングに流れる、いい時間
テレビのないリビング。
最初はちょっと物足りないかも、と思っていたけれど、これが驚くほど快適。
雑音がない。
流し見しない。
ぼんやりしない。
代わりに、会話が増える。空気が澄んでいる気すらする。
ドラマはスマホでTverをサクッと観る。
息子には、たまに見せてあげると言ったけど、特にリクエストは来ない。
どうやら今は、テレビよりも本のほうが面白いらしい。
最近の息子はというと、
「読書してる時間が楽しい」とすら言っている。
これはもう母、心の中でガッツポーズ。
もちろん、平日は塾の宿題に追われて、iPadに触る時間すらないというのが現実だけれど、
週末の貴重な自由時間に“本を選ぶ”という選択ができる息子、なかなかやるじゃないか。
ただひとつの小さな願い
そんな息子にも、ひとつだけ願いがあるらしい。
「ママ、合格したらテレビ買って。」
え、そこに戻る?と思ったら、理由がかわいすぎた。
「お笑い番組が観たい。」
そのくらいなら、いつでもママのスマホで見せてあげるよ、と言ったものの、
特にリクエストは来ない。
たぶん彼の中でも、テレビ=なくても平気な存在になっているのかもしれない。

自由とは、減らすことで手に入るもの
というわけで、結論。
テレビのない生活は、驚くほど快適だ。
不自由かと思いきや、むしろ自由。
「これを見なきゃ」「今しか見られない」から解放されたら、
そこにあるのは“空白”ではなく“余白”。
日々の暮らしの瞬間に、ちゃんと時間が宿る。
今の我が家にとって、これは“贅沢”のかたち。
そして、母としてのささやかな革命でもある。