私の暮らしているニュージーランドではFirst Aid(ファーストエイド)という、救急救命の講座を受ける事が様々な職業の人に義務付けられている。鍼灸師である私は、毎年資格の更新が必要なんだけれども、2年に1回このファーストエイドを受ける事が義務化されている。

 

というわけで今月、3月16日に2年ぶりで、3回目となる講座に出席してきた。

今回の講座では、なかなか色々な発見があった。

 

ファーストエイドは1つの団体・会社だけではなく、いくつかのチョイスがある。別に意図したわけではないのだけれど、私は3回をそれぞれ違う団体の所で行った。日時と場所と値段が1番都合の良い所を選んだ結果だ。

 

毎回スピーカーも違うし、会社ごとのカラーがあるかもしれないが、今回の3回目の講座は格段に良かった。

 

6年前、最初の講座は、机と椅子があり、教科書とスライドがあり、座学が長くて、筆記の試験と簡単な実技試験があった。9時から5時まで丸1日なので、なかなか疲れた。しかも聞きなれない英語で、結構緊張していたのを覚えている。通常、こういう特定の日時を選べる講座に日本人はいない。質問されたらどうしよう、とか、実技の試験とか筆記の試験とか、質問の内容さえわからないだろうから、とにかく必死に緊張して受講していたように思う。

 

3年前、2度目の講座は、話し手が若い男性で、凄くスポーティな感じの動きで話す人で、テキストを進めながら、たまに実技を織り込んで、机はなく、試験も実技だけで、1回目に比べると、退屈感がやや減っていた。

 

今回は、前もってオンラインでの簡単な4択問題を終わらせておけば、当日9時から1時までの半日で終われる講座を予約した。前日にこの4択を行った事と、テキストブックも非常に完結にわかりやすく進化していたこと、3回目の受講ということ、英語にだいぶ慣れてきている事もあり、内容が明らかにスンナリ頭に入ってきた。

 

 

でもその1番大きな理由は、間違いなくスピーカーのリッキーの手腕だった。印象では40代半ばくらいで、健康的な体格の人だった。ファーストエイドは、気道確保や心臓マッサージのやり方、AEDの使い方に加え、誤飲時の処置や、出血、火傷、骨折、アナフィラキシーショック、癲癇、失神などなど、結構な数のトピックに沿って概要と症状と処置を確認する。受講者には小さな冊子が配られる。過去2回は講師もテキストやホワイトボードやスライドを使っていたが、リッキーはそれが全くゼロだった。全ての流れと順序が頭に入っているようで、物凄い量の情報をスラスラと話してくれた。それももちろん凄いな、と感心したのだけれど、少しだけ教員経験のある私にはヒシヒシと伝わった。この1日のコースがただの時間潰しにならぬよう、もし万が一救急救命を行わなくてはならなくなった際に、ほんの少しでも何かの欠片を思い出せるよう、とにかく実技がメインで、質問を投げかけながら、なるべく実用的な情報を提供しようとしてくれていた。彼の情熱が今回のコースにはあった。

 

 

例えば、癲癇発作や誤飲した人の口に何か入っていて、それを指で取る行為は非常に危険とされている。それは発作的に口を閉じて、指を噛まれてしまう可能性があるからだ。たいたいはここで終わる。でもリッキーはここで付け加えてくれた。顎関節が物を噛む力は80kg程あって、もし80キロのダンベルを指にガンっと落とされたらどうなるか...。私はこの80kgという数字のお陰で、一生指を噛まれることはしないと思う。こういう本当に些細な情報で、イメージとして覚えてもらおうという配慮に私は感謝した。

 

そして、覚えなくていい、と何度か口に出していて、本当に素晴らしいと思った。

過去2回のコースには最後に試験が用意されていて、試験があると、試験のために覚えようという方向に頭が向かう。それは退屈さを生み、無駄な緊張を生み、その試験が終われば全て忘れていい、という作用を自然と作ってしまう。結果、本末転倒なことに、ファーストエイドは資格保持や義務化されているからやる、というような、こう、受動的なものになってしまう。

 

 

私は講座が終わって、今回のファーストエイドの会社にお礼のメールを送った。

 

 

後日、この話を姉妹間でシェアしていた。私達には小学生と幼稚園児の娘たちと姪っ子がいる。教育制度は必要なもので必須教科を勉強するのは大事だとは思うものの、やはり目的のないテストのための座学形式の教育を小中学校でやりすぎている様な気がする。という結論に至った。

 

 

例えば、可愛いクッキーを作る授業とか最高。

クッキーを作るのに必要な事を座学でまず学ぶ。もちろん材料について。分量について。デザインについて。生地を寝かせる意味や焼く温度について。

試験は、班ごとや個人でクッキーを作るという試験。合格とか不合格はないけれど、まず、恐らく小学生高学年、中学生だったら、めちゃくちゃ本気で調べて工程を楽しむ。この年齢でこの方法で得た強力粉と薄力粉の違いと使い勝手の違いは絶対に一生忘れない。

食べ比べてもいいし、プレゼントしてもいいし、売ってもいいと思う。稼いだお金をどう使うかを考えるのもよい。こうやって、自分の得意分野で、知識を使い、労力を使い、お金を稼ぎ、それを還元したり、回したりしていくのがまさに本物の社会なのだから。

こういうタイプの実技と実際の生活に根差した知識を、特に小中学生に教えるのは、本当にいいと思う。

掛け算をテストのために記憶することが大切なんじゃなくて、30グラムの薄力粉を3倍すると何グラムになるのか知るために掛け算が必要だという事を知るのは、雲泥の差を生む。

 

 

私は、永住権申請のために、産後、仕事をしながら英検1級レベルの試験合格が必須だった。自分なりに勉強した。いわゆる、お勉強。でも、全く進歩している実感が持てなかった。それは、合格点が取れなかったのは当然ながら、勉強したことを日常生活で使えないからだった。試験のための勉強は、私を英語嫌いにさせ、やってもやっても出来ない自分に、ボンヤリとした劣等感を植え付けた。その渦の中にいるとわからないけれど、外に出た今ならわかる。まさに悪循環。人生の貴重な時間を、こういう風に使うのは勿体ないと思う。

 

 

 

今回、3回目のファーストエイドを受けて、講師の言っている事がわかる。隣にいる人と世間話ができる。緊張せず英語の講座を受けているじゃない、と、始めて自分の英語力が上がっていると実感できた。恐らく、試験勉強していた時とそこまで変わっていないにも関わらず。

 

 

今回のファーストエイドでは、本当にたくさんの発見があった。