そんな彼が現代日本に転生しチャラいクラブでまったく別の人生を歩き始める漫画『パリピ孔明』が人気を博している。
「仕事がデキる人」に必要な3つの格言
しかし彼に限らず三国志の魅力的な登場人物たちの生き様や名言は、日常生活、さらにはビジネスの場面で役に立つものも多い。
そこで新刊『孔明に訊け!
負けるリスクを最小化する智絶の思考法』から、仕事で役立つ3つの格言を紹介しよう。
本音も実力も悪いときほどよくわかる
格言:天下に洪無かる可きも、公無かる可からず。
「私がいなくても天下に差し支えありませんが、あなたがおられないわけにはいきません」
そこに助けに現れた曹洪に、曹操は「俺はいいからお前は逃げろ」と言う。
そんな弱気になった曹操に、曹洪が言った言葉がコレ。
「洪無かる可」と「公無かる可」は韻を踏んでいる。
曹洪は曹操の従兄弟で、曹操の旗あげから死に至るまで臣従する忠臣のひとり。
この場面は『魏志』曹洪伝に元ネタがある。
【新解釈:徹底的に信用できる仲間が一人でもいるか? 】
劉備イイ奴、曹操ワルイ奴、という対立軸で、三国志の世界観を捉えるのは浅はかだ。
曹操、劉備、孫権それぞれに、それぞれの利益と損失がある。
それどころか、孔明を取り巻く三国志に登場する人物は、命がけの毎日のなかで誰もが一人ひとり野望を秘め、それぞれ日々異なる敵と味方を抱えていたのだから、善人/悪人で仕分けられるほどヤワじゃない。
すべては日々、どころか“秒”で変わっていく力のバランス次第、と考えれば、命がけ、という点は置くとして会社での毎日を思い起こす人も多いはず。
姦雄・曹操にだって、「私がいないのはアリだが、アンタがいなくちゃはじまらない」と、命を賭して助けにくる曹洪がいた。
ボコボコな状態、しかもまだ危機の真っ最中に、ここまで洒落てアゲに来てくれる仲間って、省みて思い当たるだろうか?
なんの危機もない平時のおべんちゃらとはわけが違う。
しかも曹洪の場合はこの発言の後、きっちり脱出に成功する手腕も併せ持つ。
最悪の状況だからこそ、見えてくるのがその人の了見で、実力。
いざという時、人を差し置いて真っ先に逃げようという人じゃ、信用なんてしてもらえないのは当然だが、一方で、油断しきった日常での振る舞いにも、人柄は出てくるもの。
いずれにしろよく観察すること、「見」は、いつも心がけておくべき行いだ。
“只者じゃない”感を醸し出せ!
格言:孔明は身長八尺、面は冠の玉の如く、頭には綸巾を戴き、身に鶴氅を披い、飄飄然として神仙の概有り。
「孔明は身長八尺、顔は冠につける玉のようで、頭に隠者の頭巾をのせ、体に鶴の羽で作った上衣を着て、飄々とした仙人のようだ」
「二国志演義』第38回より劉端の前に姿を現したときの、孔明の姿を描写した一節。
孔明を二回訪ねて会えなかった劉備が、三度日にして会うことができたという、有名な「三顧の礼」のエビソード。
『演義』では、三度目の来訪にもかかわらず、昼寝からなかなか起きてこない孔明に焦れて、張飛が家に火をつけようとする一コマも。
『蜀志』諸葛亮伝では、初対面の後、すぐに孔明が到備に天下三分の計を説明するくだりがあるが孔明の服装についての言及はナシ。
裴注に引く『魏略』では、孔明が到備を訪ねたという記述もみえる。
【新解釈:上等なスーツを着ろ! 】
ついに孔明が登場する『演義』のシーン。
その佇まいの描写がこれだ。
「1.8mの越え(後漢から三国時代の「尺」は23cmほど)の大男で超絶美男子。
若いクセに隠居老人が被る頭巾を被っている」と、ここまではいい。
問題は鶴の羽で作った上着を着ているというところ。
『三国志』が教えてくれる、
「仕事がデキる人」に必要な3つの格言
想像がつかない。
小林幸子的なアレですか?
自作ですか?
とにかくぶっ飛んでいることは間違いない。
ここからビジネスマンが学ぶとすれば、
「いいスーツを着ろ!」ということだ。
特に、ここ一番の勝負時には、とびきりいい服を着る。
なぜなら服装は、鎧だからだ。
身を守り、相手を威圧する鎧。
“風の時代”はモノに金を使わなくなるとはよく言われるところだが、相手より仕立てのいいスーツを着ていれば、圧を醸し出せるのは間違いない。
30年以上の長きに渡り米国版『VOGUE』の編集長を務めるアナ・ウィンター女史には、「(相手に適うことがないときは、)相手より、よい服装をしなさい」との言がある。
どこへ出ても恥ずかしくない、たとえばトム・フォードのような服を着て、それに見合った挙措動作が身についているなら問題なし。
スーツにかけるお金は、年収の3%で3着が目安と言われる。
年収1000万円として一着10万!
安い!
ダメです!
1着60万円のスーツ(トム・フォード目安)とは言わないが、金額にこだわらずとも、只者じゃない感は自分なりに演出していい。
会議では特に、無駄口を弄せず
格言:多言して利を獲るは、黙して言無きに如かず。
「言葉多くして利を得るのは、黙ってなにも言わないことに及ばない」
そこに割って入ってこの言葉を放ったのが歴戦の老将・黄蓋だった。
彼の進言で孔明は孫権に面会する。
しかし孫権を見るなり小手先の説得工作は効かないと判断し、彼を煽り続けることで主戦論に傾かせる。
孔明の説得に動かされた孫権は、このあと曹繰との全面戦争の是非を、兄・孫策の遺言に従い周瑜に諮って決することになる。
【新解釈:見えない発言?】
「会議に出席したのなら、なにか自分の意見を言え」と求められることがある。
そもそも、会議の出席者の顔ぶれを見ただけで「下手なことは言えない」とか、「ロ下手だし」といった理由で臆してしまう人は多い。
しかし意見を求められているのに、応えないのはまずい。
それなら、議論が尽くされて問題点が洗い出された最終場面で発言するという手がある。
上手くいけば、その会議の全体の印象を決定づけられるが、当然、注意すべき点がある。
最後に発言していいカッコしようという意図が透けて見えるような、これまでの議論の繰り返しならやめたほうがいい。
唐突な自説や感想は論外。
タイミング次第だが、「私はこう思うんですけど」と話し始めるのは、それまで一度も俎上に載せられていない切り口で、かつまだそこそこ時間の余裕がある場合にしたほうがいい。
会議で提示された複数の方向性のうち、どの立場からの意見かを示しながら、「どういう状況がもたらされるか」について客観的に提示する。
それもなるべく簡潔にまとめるべし。
「まとめる」だけなら批判だと受け取られにくいが、ここに自説を取り入れると、批判と感じられやすい。
いずれにしても、的確に議論の流れを把握していることが前提。
議論は尽くされていると見たなら、スルーするのも見識のうち。
黄蓋のとった戦略は、自分が長く前線に身を置き、そこでなにを話せば最も効果的かを分かったうえでの行動だ。
最初から張昭たちとやり合っても、会議は紛糾するだけ。
よく分かっている。
孔明に訊け!
編集班