ウクライナ在留邦人、募る不安「安全な場所ない」
Yahoo!ニュース
耳をつんざくような爆発音、鳴りやまないサイレン…。
ウクライナの在留邦人は約120人。
「安全な場所はどこにもない」
「ゴーストタウンのようだ」…。
さまざまな事情でいまも現地にとどまる日本人らは、不安にさいなまれながらも、長年住んだ「第二の故郷」に平和が戻る日を待ち望んでいる。
キエフ中心部で暮らす寺島朝海さん(21)は現地の英字メディアで働き、24日のロシア軍侵攻開始からほぼ寝ずに、記者活動を続けている。
「町はほとんど人がいない。
いつもにぎやかだったキエフの風景が一変した」。
25日昼(現地時間)の電話取材に、緊迫した様子でこう語った。
24日早朝からキエフ市内でもサイレンが鳴り響き、自宅近くの地下鉄の駅に逃げ込んだ。
24日早朝からキエフ市内でもサイレンが鳴り響き、自宅近くの地下鉄の駅に逃げ込んだ。
住民にとってシェルター代わりの駅。
「どこにいたらいいのか…。
安全な場所が分からない」。
不安は消えず、今は友人宅に身を寄せているという。
緊張が一段と高まったのは25日早朝。
緊張が一段と高まったのは25日早朝。
午前4時すぎに「ドーン」と大きな爆発音が2度聞こえた。
「最初は何が起きたのか分からなかった。ニュースを見て、初めてミサイルの音だと分かった」。
自宅から車で20分ほどのアパートでは攻撃を受けて火災が発生したという。
「不安はあるけれど、自分の気持ちを抑えて記者の仕事をしている。
同僚と『大丈夫だ』と励まし合っている」
寺島さんは大阪府出身。
寺島さんは大阪府出身。
10歳から父親の仕事の関係で、キエフで暮らす。
米国の大学に進学したが、約3年前にキエフに戻ってきた。
両親は勤務先の要請で2月上旬にポーランドに避難。
両親は勤務先の要請で2月上旬にポーランドに避難。
友人らの多くもすでにキエフを離れた。
「私自身はどうするか決めていない。
ウクライナ人は愛国心が強い。
ロシアにはつぶされない、戦っていけると信じている」と語った。
キエフ中心部で暮らす自営業、高垣典哉(ふみや)さん(56)も25日夕(同)、自宅で事態を注視していた。
ロシアの侵攻が始まり、町や市民の様子は大きく変わった。
キエフ中心部で暮らす自営業、高垣典哉(ふみや)さん(56)も25日夕(同)、自宅で事態を注視していた。
ロシアの侵攻が始まり、町や市民の様子は大きく変わった。
「それまではみんなケラケラ笑って普通に生活していたが、今は郊外に逃げ出す人が多い。
市内は人がほとんどいなくて、ゴーストタウンのよう。
一番人通りが多い場所もホームレスしかいない。
あんな光景は初めて。
危険を感じた」。
25日昼には「ドッカーン」と雷のような音が聞こえたという。
24日にはスーパーで食料品などを買いだめする人の姿がみられたが、25日には自宅近くの店舗は閉まっていた。
24日にはスーパーで食料品などを買いだめする人の姿がみられたが、25日には自宅近くの店舗は閉まっていた。
会社や学校も休みだ。
高垣さんはウクライナ人の妻と2人の息子がいるため、日本に帰らず、キエフの自宅にとどまるつもりだという。
高垣さんはウクライナ人の妻と2人の息子がいるため、日本に帰らず、キエフの自宅にとどまるつもりだという。
「長男が妻の連れ子で、簡単には日本に連れて行けない。
息子を置いていけない。
絶対に妻や息子たちを危険な目にあわせたくない」と力を込めた。
13~14年前からキエフ市内で暮らす高垣さんは、2014年のウクライナ騒乱も目撃した。
「ウクライナ人は8年前の暴動を『革命』という。
13~14年前からキエフ市内で暮らす高垣さんは、2014年のウクライナ騒乱も目撃した。
「ウクライナ人は8年前の暴動を『革命』という。
そこからロシアとの『戦争』は続いているという認識。
ウクライナの人はもともと、ロシアのことが大好きで昔はロシアが立派な国だと自慢のように話すこともあった」と話す。
高垣さんによると、ロシア人も歴史的にキエフを重要視していたといい、今回の侵攻に地元住民の動揺は大きい。
高垣さんによると、ロシア人も歴史的にキエフを重要視していたといい、今回の侵攻に地元住民の動揺は大きい。
「絶対キエフには攻めてこないと思われていた。
警官も『キエフには百パーセント来ない』と言っていたくらい。
ウクライナ人をこれ以上裏切るのはやめてほしい」。
祈るように語った。