トラウマと小さな苦悩と。哲学的な話。
今日は自分の思うことを書こうと思ってます。今日の話はきっと敵は多いです。
僕の一番最初の記憶。それは、かなり上の高さからの視点だったので誰かに抱かれて実家の玄関から出た瞬間の記憶です。
犬に吠えられました。このことを家族に話したらビックリされました。
0歳で生まれて初めて外に出たときの話だったそうです。
そのせいで、物心ついたときから犬が苦手でした。本当に怖かった。でも、小学生のときには平気にはなりました。
飼っていた犬は大好きでした。時々わかるわけないのに相談とかしてました。笑 この話には続きがあります。
話は変わりますが、小学生のころから一つだけずっと思うことがあります。
「優しい人になりたい」
昔こんなことがありました。小学一年生から僕は少林寺拳法(これは武道)をやってました。だから殴られたり蹴られたりは多少慣れてましたし心の強い人が本当に優しい人だという教えを素直に受け入れて信じてもいました。
ある日、友達と口げんかになり、僕が言い負かして小学生でいわゆる叩かれたということがあった。もちろん頭にきて叩き返そうとした。でも、相手に当たる前にやめて泣いてしまった。それから僕は今まで兄弟以外の他人を殴ったことがありません。遊びで以外はね。ちなみに小6から兄弟喧嘩をしてないです。
小学生だから何度かこういう状況になっていつも泣いていて、泣き虫だといじめられた時期があったんです。いじめられたこと自体は、そんなに苦しくなかった。わかりやすいやり方だったから。
これ何で泣いたか意味がわかりますか? 別に痛かったわけじゃない。心の強い人になるためには泣くしかなかった。
当然あの当時のやつらにはのびた君ばりのイメージがあると思います。
やりかえすということが自分の希望に沿わないことだから。 なんとなく伝わりますか?
相手にやられたから泣いたのではなくてやり返そうとする自分に悲しくなって泣いた。この経験もある種のトラウマなんです。
人を殴る行為が、完全に認められなくなった。だからスポ-ツ好きだが絶対に認められないものがある。
打撃系格闘技全般。プロレス、K-1、PRIDE。大嫌い。あんなものTVで流すのは異常だと思ってた。中には素敵な選手もいる。魔沙斗さんとかボブサップとかは好感はもてるが、格闘技やってなかったらもっとファンだったと思う。
特に嫌なのが、観客の早く倒せという雰囲気。実に異様だと思っちゃう。あの戦いは仮想だとわかっても受け入れられない。
今亀田兄弟が嫌いだ。そしてあの父親も嫌いだ。試合は見たことないから知らないが、試合前の記者会見の振る舞いが大嫌い。
心の強さを求めることの正反対を表現する人たちだから。強さの本質を履き違えている。
そう思ってしまう。自分の理解では強さとは本質を理解することだ。
今まで生きてきた経験で僕の思う優しさはどうもみんなの思う優しさとは違うらしい。
さっきの話の続きです。
犬が好きではありません。嫌いでもありません。自分からは飼いたいと思いません。厳密には飼うことが好きでない。
動物を大切にしたいとは思います。でも飼って服を着せたり、えさを与えたり、家に閉じ込めておいて外出は首輪つきというのが動物を大切にするということにはつながらないと思う。
それは、人間が犬より上であると認識しているからこそそうなるんだと思うからです。これは次の例で証明されるのでは?
どんなに愛情を注いでも人間に同じことをしたら監禁罪だけど、犬なら現実には愛情を注げば愛犬家としていいイメージを持たれる。
「一寸の虫のも五分の魂」とはよく言ったもので、これを地で行なっている人ってそんなにいないと思う。
二つの話を合わせると自分の感覚が少し違うのかなと理解してます
。物事の本質を捉えることが心の強さだと思う。心の強さとは優しさにつながる。そこから来る優しさと世間が求める優しさはだいぶ違うみたいだね。
でもね。格闘技が嫌いというと男なのに?という意識がどこかに入った視線を受ける。これがすごい嫌だから、言わずにその話題のときは関わりません。親しい奴がその話ふってきたら実は嫌いって言うかな。
でもね。犬が好きじゃないと言うと冷たい人だねと言われるんだ。心の底ではどっちがだよって思ってる。だけど口には出さない。
友達なくすからね。犬を好きじゃないと言うと動物全般が嫌いだととられるようです。
自分が変だという感覚はあるから答えが欲しいわけじゃありません。
なんとなく書きたかったから書いてます。
長いから一度終わります。次はちょっと自分なりの葛藤がある話です。