スミスミスのブログ -2ページ目

スミスミスのブログ

ひたすらだらだらと書きます。

久々に書きます。

 

軽く8年くらい経ったか笑

 

この間に、

・念願の踊りのチームを大学同期達と結成

・結婚

・家建てる

・7年代表を務めて引退し、次世代へ引継ぎ。

・出産

 

そんな感じのことが起きました。

 

今は赤ちゃんがギャン泣きしている中書いています。昨日で2か月です。

 

今あやして寝たのでまた戻ってきた。

 

いや~~~~~カワイイ!!!!!!!!!!!!!

 

可愛すぎて驚き。

 

これは将来美人になるわ。

どうしよう。

 

あんな感じで「ニコッ」てされたら、男の子たちみんな好きになってしまう。

 

うちの玄関先に、求婚者で行列ができてしまったらどうしよう。

 

ちゃんと良い男を見極められるように、しっかり大事に育ててやらんとな。

 

 

まぁそれはさておき、何を書こうか。

 

踊りに関しては、ほんとにやりきったな。

 

踊りの魅力、ディズニーとかプロダンサーとか、いろんな有名チームとか、

やっぱすげーなって感動の連続。

流れのコントロール。足運び、ビートの切り取り方。心地よさ。音楽すげぇ

 

そして大自然のすごさ。

 

そういった「すげえな」って根本的な感覚は、結局8年前と今とで、全く色あせることはなかった。

 

むしろ、それを土台にして、いろんなことを知れた。

 

具体的には、

そういうものの「すげえな」を、もっと味わって、もっと大事に守って繋げている人が

この世にたくさんいるということに気づけた。

 

「なんでこの人たちこんなすげえんだろう」と思っていたことが、

「なるほどこの人たちはこういうものにリスペクト感じてやっていたからすごいんだな」

と、思うようになった。

 

この世には、本物がたくさんある。おれが知らないもっとすごいことがたくさん起きていた。

良かった。

 

おれが生まれて、山とか海とか森とかにたくさん連れて行ってもらってきた。

小学生くらいの頃から北アルプス縦走とかもさせてもらっていた。

ディズニーにも20回以上連れてってもらった。

 

そういう中でいろんなものをもらった。

 

おれはチームも設立して、ありがたいことに作品とか個人の踊りも褒めてもらったりしたことも

あったが、

確かにおれも頑張ったところもあったけど、もともとは全部親とかがくれた感性だった。

 

おれが感動した心の動きは、生物が進化する中でそういうものに触れたときに

心が洗われるような仕組みができたからだし、

感性は育ててもらったもの。

 

そして、その時目にしたいろんなものが、本当に魅力的なものだった。

 

すべてが、与えてくれていたものだった。おれは恵まれていた。

 

 

おれがそれなりに頑張った7年間くらいで、おれが受け取ったものを、

込めてきたつもり。

おれが受け取ったものが、また誰かがの何かにつながっていってくれたとしたら、

それは頑張った甲斐もあったということになってうれしい。

 

とはいえ、それは期待するものではないし、おれに与えてくれた人たちも

おれがどうすることを期待していたわけではなかった。

 

皆が忘れてしまったとしても、おれは覚えている。

おれがそういう風に過ごせたということが、おれにとってはそれで良かったということ。

 

今を生きる我々は、身の回りにあるものから遠くに見える景色まで、長い時間をかけて

醸成されたものや、誰かの苦労の上にできあがったものの上に成り立っている。

 

そういうものから、見えない声というか、魅力とか、素晴らしさとか、汲み取りながら生きていきたい。

わかる人間になりたいし、そう在りたい。

あわよくば、それを享受して過ごすだけでなく、自分も何か恩恵として残していくことができれば。

大きなことでなくてもいい。日々の過ごし方とか、すれ違う時とか、そういう一瞬一瞬に、

なんとなく意識して感じのよさみたいなものを周りに醸し出すことができれば。

 

そんな風に考えている。「運転者」という本から教えてもらった考え方でもある。

 

おれはやるだけやった。きっと何かにつがったはずだ。そういうことにしよう。

それでいい。

 

とは言いつつ、やっぱりみんながどういう風に引き継いでどういう風に答えを

表現していくかは興味深い。

おれが頑張った方法や、少なからず得た実績、成功体験を、彼らに強いるのは押しつけ。

「おれはこうだったけど、今はどうかな?」と考えることが大事だと、林先生が言ってた。

そのとおり。

 

しかし、あんまり無理やり自分を抑える必要はない。おれも一応まだ一員だし。

大筋の流れはゆだねつつ、変わっていくチームの意志も尊重する。

しかし、その大きなチームの意志に対してないがしろになってしまっているものが

もしあれば、その都度確認等はしていきたい。

 

でもそれも、時代は変わっていくから、理解する姿勢は持っておかないとな。

 

 

なにはともあれ、今はとにかく子育て。

一日一日というか、とりあえずその日の午前と午後をやっていくという感じだ。

 

3時間おきのミルク。その間のウンチ、おしっこ、気分次第でずっと泣いたり、最近は

話しかけると笑ったり、まじで一日あっという間。

今は目の前のことに集中。仕事にも集中。焦らず進めていく。

 

 

 

さて、今2020年、コロナがとんでもなく世界中で流行している。

日本も、5月頭にかけて一日200人とか感染者出たけど緊急事態宣言でいったん収まって、

ディズニーも7/1から再開したというのに、この4日間で東京で100人越えが4日も続いている。

 

これは、かなり危ない状況だ。このままいけばまた緊急事態宣言は免れないはず。

 

というのも、コロナウイルスは、感染しても発症しない人が多くいるということ。

そして、発症まで2週間くらいかかるということ。

 

これを考えると、今日東京で出た感染者の111人は、1・2週間前に感染しており、発症するまでに

せっせと感染拡大していたことになること、

さらに、111人は実際に感染していたうちの1部で、もっと多くの感染している人が2週間前に

せっせといろんなとこで活動してうつしていたということになる。

 

 

・・・なんか書いてて気持ち悪くなってきたな笑

 

それでもまだ専門家の人たちは「感染範囲は追跡できている」「ポイントを絞って効果的に

自粛を求めていく」と言っているようなんだけど、

まじか。すごいな。

 

親が感染して、家で家族と一晩過ごして、それで子が学校行ったらそれでもう教室、校舎広まるし、

それでクラスメートが帰って夜親と過ごして親が会社行けば、会社がアウト。

同僚が家帰って家族と過ごして・・・ これであっという間に広まるように思う。

 

とはいえコロナ前よりも、全国民の清潔意識は跳ね上がってきたようで、おれもだけど、

それが証拠に、インフルとか感染性胃腸炎とかいろんな感染症が激減しているよう。

 

素晴らしい。

みんなで清潔に過ごせば、こんなにも病気が減るのかという驚き。

良い部分もあるな。

それでもコロナは広まるんだからすごい感染力だ。

 

なにはともあれ、自分はしっかり手洗いマスク除菌等して、あまり不安になる情報を見すぎず、

朝散歩とかしながら健康的に過ごしていくということだな。

とりあえずは第一波ですさまじいことにならなかったこと、子供も無事に生まれて、奥さんも

今元気なこと、そこに良かったなという一言に尽きる。

 

 

 

それから、歩歩清風起という言葉について。

ほほせいふうおこる と読むのかな。

 

「目の前のことに無心で取り組んでいれば、いつかさわやかな風が頬をやさしく撫でてくれるような

ことがある。」

 

というようなこと。

 

これは、コロナ禍にあって、とても大事な考えだと思う。

 

いろいろ考え始めると、脳がオーバーヒートを起こす。マルチタスク、ながらスマホ。よくない。

あれが不安だ、これが不安だ、こうなったらどうしよう、あれもやらなきゃ、これが終わってない、

 

そういう風になりがちだけど、それはよくない。

 

「考えるな」と言われても難しい。

 

だから、「目の前のことに集中する」これ大事。

 

目の前の皿洗い。一枚一枚に集中する。洗い残しはないか、大きな音を立てずにできるか。

階段も、最後の一段まで丁寧に降りる。滑ったりしないか。

 

歩く時も、電話しながらとかスマホ見ながらとかでなく、一歩一歩自分の姿勢とか、呼吸の仕方、

目線とか、意識してみる。

 

おれは今まで、うぬぼれてたな。同時にいろんなことを出来ると思っていた。

飯食いながら「噛みながらスマホで面白い情報得ればお得じゃん」とか思ってた。

でもそういう欲張りな考えが、脳にはほんと良くない。スイッチングにエネルギーめっちゃかかる。

脳は一つのことしかできないから。

 

いろんなことを同時にやろうとしない。

今この瞬間の目の前のことを、丁寧に行う。

一動作一動作、丁寧に行う。

焦らない。

 

それだけで良い。なぜなら、世界はもともと清らかで素晴らしくて、一つ一つ時間をかけて

存在していて、そして自分もその中で素晴らしいものを備えていて生きている。

 

そういった静かに流れているものが素晴らしいという前提が、禅の考え方にあるらしい。

インドから始まり、日本で数百年かけて洗練された禅の文化。

 

もともと素晴らしく、手元にも自分の中にも広がっている気配に気づいていくことが人生。

そんな空間に足を踏み入れていく感覚。そうすれば確かに、清風を感じることになる。

 

だから、自分が今やるべきことに心を澄ましてやっていけば良い。

 

そんな話を聞いて、なるほど素敵な考えだなぁと思った。

 

おれみたいなごちゃごちゃ考える人にはとても良い考えだと思う。

 

コロナの時にあっても、西洋的な?「手元には無い」という前提で「だから成果を生み出そう」という考え。

これだと、成果を産めない今の世でストレスを抱えるだけ。

もちろん、様々な問題に対して、課題解決や進歩は大切ではある。

ただ、きっと急ぎすぎてたんじゃないかなと思っていた。

 

今までの世界は、行き過ぎたグローバル、効率化、成果主義、勢力拡大、急ぎすぎてきた。

 

 

もうグローバルグローバル言えなくなる。行き来が活発になれば、簡単にウイルスが世界に

蔓延する。

 

結局一番大事なのは「自己免疫力」だったわけで、おれも年明けに謎の風邪にかかったとき

はしごした医者の人たちに「こういうこと言っちゃいけないかもだけど、医者は風邪を治せない

んだよねぇ」「いったいなんのウイルスなんだろうねぇ」「じっくり休んで嵐が去るのを待つのみです」

と言われた。

結局自分にもともと備わってる免疫力が一番大事だったということ。

もちろん、医療行為も必要で、救いが必要な場合はものすごくたくさんある。

 

でも、それに任せきりになって、自分が本来備わっているものの力を忘れてしまって、

なんでもかんでも「病院になんとかしてもらおう」だと、医療もパンクしてしまう。

 

みんな、恵みの上に今を生きてるし、自分自身にも備わっているものがある。

座禅をして呼吸を整えれば、脳も心も休まってすっきりする。

朝、朝日を浴びて気持ちの良い空気を感じて歩けば、免疫力も上がる。

そういう過ごし方が大切。

 

目の前のことに没頭して、車の運転でも横断歩道で止まったり、車間距離開けて道を譲ったり、

穏やかに過ごして良いんだと。

 

いろんな名作や素晴らしい本や、面白い人や、これまでの番組や、たくさん身の回りにある。

 

自然もきれいだし、草木一本一本に気の遠くなるような時間が詰まってる。

 

ゆっくり気づいていこうよということ。

 

コロナもあり、この8年もあり、そういう風に考えるようになってきた。

 

これからの世は、

「成果よりも愛」になっていくと思う。

 

まず愛がある人や組織が、結果的に成果が表れていく。

その成果は、予想外だったりするかもしれない。でもそれを面白がって生きていく。

 

そういう人たちが、いち早く前に進んでいくんだろうと思う。

 

少なくともおれは、そう思って転職して生き方を変えた。

 

今、コロナは大変な状況だが、これを機に、世の中の価値観が少しづつ良い方向に

変わっていったりしないかなぁと、少し思っている。

 

 

 

 

 

 

足とか腕とか筋肉痛やばいな。


けどやっぱ踊るのいいねニコニコ



昔からサッカーが苦手なとこあって、


力づくで相手を倒したり、相手を引っ張ったり邪魔したり、
審判に気づかれなければ、勝利のためにけっこう何でもアリみたいな。



そういう世界がどうもね・・・。



まあそういうのが気にならない人が、社会では出世してくのかもしれんが。




でも踊りとか音楽とか芸術とかって、ライバル同士で戦うことがあったとしても、相手はお客さんだからな。


敵対心とかでやっても、感動は得られんからな~。

そこがいいと思う。



なんとか作りたい。
けど一人じゃ全然出来ないから、みんなの助けを借りないと。


とりあえず体力づくりしよう。
ジョギングはじめて四日目。


体力つけんとな~。夏来るしな~。



毎日座って通勤は車だと、絶対やばいわ。



てわけで6000円のジャージを買って、ジョギングをはじめた。



昨日10キロ走ってみたけど、二時間かかった・・・。長かった・・・。同期は朝10キロ夕方10キロ毎日走るって言ってたけど、すげーな。




今日は6キロ走ってみた。



続けることが大事だから、あんま距離気にせず、30分くらい走れば十分って感じにしよう。



いきなり体動かしても、足壊しそうだからな。体力つけとかんと。