4月から、新しく非常勤を増やすべく研修している人が二人いる
わたしもまだまだ駆け出しの日本語教師
こんなわたしが偉そうな口を利けたもんじゃないけど
うちの学校の研修体制がよくわからない
わたしが入ったころの研修とはまた違う
一見すると手取り足取りの研修をしているように思う
でもなんだか空回りしているようなそんな感じがする
先週、わたしが担任しているクラスで一人の研修の方が2時間授業をした
それがまぁ、なんというか、とてもひどいものだった
最初はしょうがないというレベルではないような感じがした
「最初は」というが、もう「最初」でもないんだよね
もう3~4回模擬授業もいれて学生の前で教鞭をとっている
授業の前にシュミレーションした?
教案がちゃんと頭に入ってる?
準備は必要以上なくらいやってる?
そもそもその課で何を教えるか、ちゃんと自分の中で整理できてる?
そんなことを思ってしまった授業だった
研修だから、メリハリがないとか、そういうことは仕方がないと思う
単調になってしまうことも仕方がないし、
学生の発言をうまく拾えないことも仕方がないと思う
でも、事前に準備した自分の台本を頭に叩き込んで
その通りに授業することはできるでしょう?
それもできていない、行き当たりばったりな印象を与えられてしまった
彼女は彼女なりに、頑張って準備したのかもしれないけど
わたしから、言わせてもらうと、「準備不足」
シュミレーション不足
それをはっきり彼女に伝えた
こんな仕上がりでわたしのクラスに持ってくるなんてありえない
わたしは本気で全力で彼らとぶつかっているのだ
彼女の研修担当は、教務主任とサブがあと2人
ぶっちゃけ、この3人は、研修にあたっての打ち合わせなんて何もしていない
おおまかな方向性のみだ
研修を受けている彼女だけの責任ではないと思っている
研修内容にも問題があるのだ
その人に合わせた研修をしてやるとかなぜできないのだろう
指導案だけのチェックで授業ができるとでも思っているのだろうか
わたしが研修を受けたときはちょうど春休みで
学校に行っては、先輩先生相手に模擬授業を繰り返した
わたしはそれがとてもよかったと思っている
指導案のチェックなんて1~2回しかしてもらってない
彼女たちが、7月からデビューできないのは
3か月でデビューさせられないのは、こちらにも非があるのではないかと思う
自分の上司のことを悪くは言いたくないが
教務主任が変わってから、すごくやりにくくなった
主任のことが嫌いなわけではない
とてもいいひとだし、教えることに関しても素晴らしいんだと思う
でも人を育てることに関したら?
以前言われたことがあった
わたしが初級を担任すると、定着がいいと
わたしは声を大にしていいたい
「だって補習してるもん!!」と
今は忙しすぎて、遅れをとっている子に対して補習はできていないけど
去年は日本語0で来たタイ人の女の子と中国人の女の子を
なんとかクラスの中で話ができるようになるまで
2か月くらいほぼ毎日朝1時間程度補習したよ
もちろんノーギャラ
だから、それなりにおしゃべりもできるようになったよ
主任はわたし以上に忙しいから無理なんだろうけど
何も手を打ってないじゃない
「どんな勉強してるの?それじゃなくて、こうしなさいよ」の話し合いしかしてないじゃないか
一緒にしないでよね
とか、いろんなことが頭の中を回ってます
人のふりみて我がふりなおせ
わたしは授業に関しても、そのほかの雑務に関しても
これを常に念頭に置いて今仕事をしている
そして初心忘るべからず
常に内省できる自分でいたいものだ
軽い言い合いをしてしまった
「作文指導について」
同僚が担任をしているクラスにフィリピン人の男性がいる
彼はわたしより一つ年上
企業が誘致して来ている留学生で一昨年の10月に日本へ来て、今年の3月に卒業だ
卒業したら、その企業で就職という約束(かどうかは知らないが)で日本に来たのだとわたしは思っている
が、しかし
企業の方から、今の彼の日本語力とコンピュータスキルではちょっと…という通知が来た
コンピュータスキルのことはよく分からないが
日本語力は週に1日しか授業に行っていないわたしからしてもイマイチなのだ
というのも、何を話しているのか全然分からない
よく授業中も話してくれるんだけど、言っている意味がほとんど分からない
わたしも日本語教師の端くれ、何が言いたいんだろうと察する
でも分からない
そんな彼が作文を書くと、すごく立派なことを書いている
大人だし、意見もあるんだと思う
でも、使っている言葉、文法が彼のレベル以上のものなのだ
これは翻訳機を使ってるな
この仕事をしている人じゃなくても彼と話した後に作文を読んだ人は誰もが思うと思う
翻訳機を使うことが悪いことなんじゃない
でも、彼の等身大の作文でいいとわたしは思う
それを今日同僚に話した
同僚は、「彼の個性だから。翻訳機を使わなくてもそんなこと書くよ。わたしは、あまり学生の作文は直したくない。彼らの個性がなくなってしまう。」
留学生が書く作文を何も教師が書き直す訳じゃない
教師は、誤用を直して、作文の構成を指導してやらなければならないのじゃないか
正直、わたしが企業サイドなら、レジュメで立派なことを書いていても
意思疎通ができない人材は要らない
翻訳機は誰でも使える
「迷惑」という言葉の意味が分からない人が「濫用」なんて言葉使う?
わたしは、これが「個性を潰す」ことだとは思わないんだけど
確かにそのクラスの作文をチェックしていて思うことは、抽象的なことだけを書いて具体的なことを書いていないものが多いと思う
抽象的なことだけを書くのが「個性」?
それは単に書き方を知らないんじゃないの?
誤用を直すだけなら、教師じゃなくてもできる
自分も英語を勉強した身
それで思ったのは、外国語で作文を書いてるときに自分の個性なんて意図して出す余裕なんてないってこと
もしわたしがトンチンカンなことを書いていても「個性だから」で片付けられるとわたしの英語での作文力はそれ以上伸びないだろうなと思った
だから「個性」の一言で片付けるのではなくて
これからその人に何が必要なのかというところまでを視野に入れた指導をするのが教師なのではないかと思う
わたしにはそのフィリピン人の学生は、カッコつけの頭でっかちだと認識されている
どんだけ文章でカッコつけても、喋ったらボロボロなんだから
そうなると、「本当に意味が分かっているんだろうか」という疑問さえ出てくる
自分が学生だったらという視点は大切だとつくづく思う

