阪神・淡路大震災から30年です。
もう、30年か・・・と思います。
当時のことを思い出すと
「ものすごい音がした」
揺れも確かに凄かったですが
私は音にビビりました。
20歳になる年でした。
なのに本気で思った。
「怪獣出てきた?」
頭の中では
ウルトラマンに出てくるような怪獣が
家のすぐそばで暴れている光景が
浮かんできていました。
私にはそういう音に聞こえました。
ベットの中で
布団に潜り込んで
え?何?え?って
焦っていました。
時間にすると結構の長さに感じたけれど
実際はどうだったのか・・・
幸い、私が住んでいた辺りでは
わりと大丈夫で
友達に被災した人も
いませんでした。
我が家はトイレの花瓶が1つ
落ちただけでした。
水道も出たし
父が起きてすぐにテレビをつけたので
電気も通ってた。
ガスはどうだったんだろう?
記憶では電気も水もガスも大丈夫でした。
姉の被災したお友達が
我が家にお風呂に入りに来たりしました。
そういえば
私の友達の家でも
東灘区に住んでいた親戚が
避難してきてるって言ってました。
私は当時
近所のスーパーの中のパン屋さんで
バイトをしていて
大丈夫なら来て欲しいと連絡があり
何日かしてから
バイトに行ってました。
余震が心配で親から止められている
バイト仲間や
子供だけで家に残すのが心配だからと
来ないパートの人もやっぱりいました。
お店には
イーストを分けて欲しいというお客様が
わりと来ていました。
イーストが売ってなかったんですね。
スーパーの中は思い出してみれば
混雑していたな・・・と思う。
みんな家族のご飯の確保に必死だった。
我が家では母がどっしり構えていて
ご飯が心配になることもなかったし
父がいつも通りに行動するのを見ていると
私も自然といつも通りに
行動できていました。
余震もあったけど
なんか大丈夫でした。
短大に行っていた私。
学校は阪急電車で西宮の方へ行くので
学校が再開されて
電車が通ってない区間は
JRに乗り換えて行ってました。
被害が大きかった所を通っていたので
毎日凄い光景を見ていたんだなと思います。
少しずつキレイになっていく景色に
すごいな〜と感心したし
阪急電車が開通した時には
嬉しかった。
旦那さんは
まあまあ被害の大きい所で
一人暮らしをしていたので
住んでいたマンションは半壊。
学校での避難生活も少しだけ体験したとの事。
幸いお姉さんが住んでいたマンションは
大丈夫だったから
そこに行ったそうです。
今でも旦那さんは
地震にすごく反応します。
震度1でも
飛び起きるし
揺れてないのに
揺れた?
って言う時があります。
地震は怖い。
大きな地震が来るだろうと言われている今
思うのは
やりたいことをやっておこう!
ということ。
地震だけじゃなく
事故や病気で
人間、いつ死ぬかわからない。
年齢なんて関係ない。
やりたいことはやっとかないと
できなくなるかもしれないし
なりたい自分の姿があるのなら
早くそのなりたい自分になれるよう
努力してならなくちゃ
後悔してしまいそう。
子供が大きくなったら
とか
定年したら
とか
住宅ローンが終わったら
とかは
嫌だな〜と思います。
私はもう少しスッキリした家に住みたい。
それに
お金の管理が
もっとできるようになりたい。
そのためには
ものを減らさないといけないし
頭の中も整理しなくてはいけない。
頭の中の整理って
管理するものを減らすしかないから
やっぱりものを減らさないといけない。
と考えると
最終はここに行き着くのです。
「ものを減らす」
これに限る。
よし!
これからも、手放しを頑張ってやろう!
やり続けよう!