阪急ブレーブス
ユニフォームギャラリーシリーズ#6
北陸高校野球部のユニフォームなどで今でも阪急ブレーブスの人気の高さは証明されてます。そんな第6回目は阪急ブレーブス「1970年代中盤に黄金時代を築いた勇者達②」です。今回は阪急ブレーブスの打撃陣を見ていきます。
先頭打者の福本豊選手が塁に出て、福本選手が盗塁を決めて2番打者がバントで送り福本選手を三塁に進ませ、3番加藤秀司選手、4番長池徳二選手などが福本選手を生還させて1点をもぎ取る野球で勝ち星を掴み取っていた時代でした。1975年から1978年までの4シーズンでリーグ優勝1975年から1977年までの3シーズンは日本一を獲得しました。昭和50年代最強のチームだったことは言うまでもありません。また、福本豊選手は1970年から13年連続で盗塁王、加藤秀司選手は1975年にはMVPを、1975年には97打点、1976年には82打点と2年連続で打点王を獲得、ボビー・マルカーノ選手は1978年に94打点で打点王を獲得するなどタイトルホルダーを輩出しました。
守備面でみていくと、遅咲きの中沢伸二選手が正捕手になり、遊撃手・大橋穣選手と二遊間コンビを形成したボビー・マルカーノ選手、三塁手には森本潔選手、その森本潔選手などとの複数トレードで加入した島谷金二選手、一塁手では加藤秀司選手が君臨してました。外野手では福本豊選手、大熊忠義選手、バーニー・ウィリアムス選手(のちに蓑田浩二選手)、指名打者には長池徳二選手、代打の切り札に高井保弘選手、控えの捕手には強打の河村健一郎選手が君臨してました。
上田利治監督辞任以降、野手では長池徳二選手、大熊忠義選手、投手では足立光宏選手などといった、1967年の初優勝から5回のリーグ優勝を支えた選手達が引退するなどして、1984年のリーグ優勝1回だけにとどまり、オリエントリース(オリックス)に身売りすることになります。最強を誇った後はなかなか勝てない時代に入っていきます。
また、こちらにこのユニフォームを語った、『阪急ブレーブスのユニフォームを語る①』を載せておきます。こちらも御覧くださいませ。












