阪急ブレーブス
ユニフォームギャラリーシリーズ#5
2025年5月5日に5個目の投稿。そんな第5回目は阪急ブレーブス「1970年代中盤に黄金時代を築いた勇者達①」です。今回は阪急ブレーブスの投手陣を見ていきます。
西本幸雄監督の元で1967年に初優勝、そこから3連覇。1971年、72年と2連覇した阪急ブレーブス。梶本隆夫選手、米田哲也選手、足立光宏選手、石井茂雄選手が投手陣を支えてました。しかし、山田久志選手が台頭してきたものの、梶本隆夫選手は1972年に引退、石井茂雄選手は太平洋クラブライオンズに移籍するなど初優勝を支えた選手達に衰えが隠せず、1973年からはリーグ優勝から遠ざかりました。2年連続で優勝を逃した、1974年11月のドラフト会議で松下電器の山口高志選手をドラフト1位で獲得しました。山口高志選手の入団が阪急ブレーブスに黄金時代をもたらすことになります。1975年、山口高志選手は新人王と日本シリーズMVPを獲得するなど大活躍しました。
山口高志選手に刺激を受けて、山田久志選手は1976年に26勝を挙げ最多勝を獲得、1977年には防御率2.28と最優秀防御率を獲得、1978年には18勝4敗4セーブで最高勝率を獲得するなど、3年連続でMVPを獲得しました。足立光宏選手は1976年に17勝を挙げ、衰え知らずのところを示しました。1977年には稲葉光雄選手が17勝6敗1セーブで最高勝率、佐藤義則選手が1977年に新人王を獲得、1978年には山口高志選手が13勝4敗14セーブで最多セーブを挙げました。山口高志選手全盛期と黄金時代は見事に重なりました。タイトルホルダーではないですが、戸田善紀選手が1976年5月11日の南海ホークス戦でノーヒットノーランを記録、今井雄太郎選手が1978年8月31日のロッテオリオンズ戦で完全試合を達成しました。
チーム防御率は特別高くないですが、個々の能力が高かったことがリーグ4連覇の要因だったと思います。また、これは野手陣にも言えることですが、上田利治監督はトレードによる選手の入れ替えや世代交代を躊躇わず、チームの新陳代謝を積極的に推し進めたことも勝ち続けた要因になったと思います。リアルタイムで見ていたら身震いしそうな顔触れです。黄金時代の阪急ブレーブスの投手陣を懐かしんでください!
また、こちらにこのユニフォームを語った、『阪急ブレーブスのユニフォームを語る①』を載せておきます。こちらも御覧くださいませ。









