私は週末テニスプレーヤーです。毎週プレーしてます。こうやって私がテニスすることで、「テニス産業」というものにお金を落とし、「テニス産業」という経済が回っていきます。私がテニスなんてやらないで家でボーっとしてたら、「テニス産業」にお金は落ちません。多くのテニスプレーヤーがテニスをやめて「家でボーっとしてる」ことを選んだら、「テニス産業」は衰退してしまいます。

私がテニスをプレーすることによって、「経済」が回るのです。

パラリンピックでやってた「パラスポーツ」も同じ。障がいのある人たちがスポーツすることで、「パラスポーツ産業」にお金が落ちて、「パラスポーツ産業」という経済が回っていきます。障がいのある人たちがスポーツしないで家でボーっとしてたら、「パラスポーツ産業」にお金は落ちません。

障がいのある人たちがスポーツをすることによって「経済」が回るのです。

かくして、オリンピックだけやるより、パラリンピックもやったほうが、「儲かる」とてもわかりやすい話です。

 

障がいのある人が家でボーっとしてるんじゃなくて、働いてもらうのも、経済を回していく上でとても良いですから、障がいのある人をどんどん会社が雇用していくシステムを作るのも、「経済」を回していく上でとても重要です。障がいのある人が自分で稼いでスポーツに取り組んでくれれば、障がいのある人が家でボーっとしてるより、「経済」はどんどん回ります。

また、障がいのある人が働きやすい環境、障がいのある人がスポーツしやすい環境を作ることが、社会のイノベーションにつながっていきます。

先進国社会で「多様性」がキーワードになっているのは、「多様性」を大切にする社会の方が、そうでない社会より「経済」がより良く回るからです。イノベーションにもつながるからです。

 

一定の経済発展を経て、人口も増えなくなった「成熟した先進国社会」においては、放っておくと経済発展が停滞し、じりじりと貧しくなっていきます。今の日本がまさしくそれで、「ジリ貧」な感じは皆さん抱いていると思います。

そういう「成熟した先進国社会」がさらなる経済発展をするためには「多様性」を大切にすることが重要になってきます。今まで「家でボーっとしてた人たち」が社会に出て、お金を稼いだり使ったりすることで「経済」が回る、こういった「経済の活性化」は「成熟した先進国社会」においては、「ジリ貧」を防ぐために必須のものとなるのです。

なので「障がいのある人」だけでなく、女性やLGBTQやそういったマイノリティーだった人たちが社会進出すること、すべての「多様性」が大切にされることが「経済の活性化」にとっては重要なことになります。

 

中国のような「成熟した先進国社会」ではない、単線的な経済発展路線をまっしぐらに進む社会においては、「多様性」は大切にされません。全員を画一的な枠にはめ込んだ方が効率よく経済発展できます。かつての日本もそうでした。日本の「画一化」を目指す教育システムや社会システムが、日本社会の飛躍的な経済発展をもたらしたのです。

日本の場合、まだその「飛躍的経済発展」の夢から醒めていません。私たち自身の多くが「画一的」な社会による飛躍的経済発展をいまだ夢見ています。

しかし日本の社会はすでに「成熟した先進国社会」なのです。中国とは違います。人口も増えず、給料も安くない。そんな社会が経済発展するためには、「多様性」を大切にする社会であることが絶対に必要になります。「家でボーっとしてる人」を減らさないと経済発展できないのです。イノベーションも生まれないのです。近い将来、中国も必ずそうなります。

 

「やまゆり園」の事件を思い出します。

犯人は、重度心身障がい者は生きていても価値がないので、その人たちを生かしておくためにお金を使うよりも他の困っている人にもっとお金を使うべきだ、という論理で、障がいのある人たちを殺害しました。

これについては以前にも書きました。

 

 

「成熟した先進国社会」においては、重度心身障がい者もまた、「経済」を回すサイクルの重要なプレーヤーなのです。彼らが人間らしく生活できるような社会的努力がされることによって、社会の経済はよりよく回っていきます。彼らを抹殺してしまうのは、経済社会にとって大きな損失なのです。

彼らが「生きてよりよい生活をする」ことが、「経済」を回し、社会全体の経済的利益をもたらす。日本社会の発展をもたらす。

彼らの「多様性」を大切にすることが、日本経済の発展に寄与するのです。