「フェミニズム」の主張が「男たちスーツなんて着てないでもっとオシャレを楽しもう」とか「金儲けだけが価値じゃない、もっとのんびりしよう」だったらどんなに良いか、と私は思います。でもフェミニズムの主張するところは「女性もスーツを着てバリバリ稼ぐ」なのであります。

アメリカやイギリスの恋愛小説に登場する男性は、「料理の上手な男」ではなく、「バリバリ稼いでる青年実業家」です。もし男性が料理が上手とか、家事を当たり前にシェアできるとか、フェミニズム的な魅力にあふれていても、「経済的能力」が低ければ、女性から見れば魅力的なパートナーではありません。

となると、「経済的能力が低い」男性がいくらフェミニズム的な魅力を高める努力をしても無駄、ということです。女性は「経済的能力が低い」というだけで、その男性をパートナーに選ばないのですから、その男性はフェミニズム的な魅力ではなく、経済的能力を高める努力をまずしなくてはいけないのです。

男性は、女性のパートナーを「経済的能力」ではなく、外見を含めた「人間としての魅力」で選びますから、男性のパートナー選びの方がフェアで、「経済的能力」を第一に選ぶ女性の方がパートナー選びではアンフェアです。

フェミニズム的な社会が実現するためには、女性がアンフェアなパートナー選びをやめて、男性を「経済的能力」はなく、純粋に人間的魅力で評価するようになる必要があります。でも間違いなくそうはならないでしょう。

フェミニズムの主張は最初に書いた通り「女性もスーツを着てバリバリ稼ぐ」社会です。男性の作り上げた、今やモンスター化した自由主義経済社会で男性と同じだけ活躍し、稼ぐ、その「公正さ」を求めるものです。ですから、フェミニズムのもともとの前提として、男性は「スーツを着てバリバリ稼ぐ」性である必要があるのです。そうでなければ、永遠の繁栄を続ける自由主義経済社会が崩壊してしまいます。そうなったら、女性が経済社会に参加するメリットがなくなってしまいます。男性が「稼ぐ性」でなくなったら、代わりに女性が「稼ぐ性」を担当しなくてはならなくなるのです。

ですから、フェミニズムは男性が、より「スーツを着てバリバリ稼ぐ」性であることを要求します。「経済的能力」の低い稼げない男性は、フェミニズム的な社会では存在価値がありません。女性が、経済的能力ではなく、料理が上手とか、当たり前に家事をシェアできるとかそういうフェミニズム的魅力でパートナーを選ぶようになるのは、引退して、のんびり老後を過ごしたい、と考えてからでしょう。

 

というわけで、こちらの本は、ナイジェリア出身の作家のTEDでのスピーチをまとめたもの。フェミニズムについての最もわかりやすい主張。この本を読んで、今書いたようなことを考えました。