きのう、同僚にいわれたことばで傷つき、かなしくなっていた。

 

想い人に「かなしい、かなしいから、もうきょうは帰りたい」とだけ、きのう伝えていた。

 

 

「次に飲みに行く時まで、待っていてください」といったあと、「溜めておけないか」といった。

 

「がんばる」とわたし。

 

 

きょうも気持ちが沈んだままだった。

 

「げんきないですね」

そんなふうに声をかけてくれた。

 

そして、「原因は…」といい、筆談で「〇〇さん」といってきた。

 

びっくりした。

本当に驚いた。

 

「なんでわかったの???」

 

そういうと「見ていればわかりますよ」という。

 

見ていればといっても、彼の視線は前を向いており、わたしのことは見えない。

わたしを傷つけた同僚は、ふだん、彼ともわたしとも話すことはない。

 

きのう、たまたまその同僚と話しただけだ。

 

 

それなのに。

なぜ。

 

 

そんなわたしを気遣ってか、立ち止まってくれたり、他愛のない話をしてくれたりした。

 

 

そんな人が、来春、退職してしまうことがとてもさみしい。

故郷に帰るため、これからは東京での生活の清算をするらしい。

 

 

ひそかにこころの支えとなっているのに。

わたしは片思いのまま、そっと彼を見送るしかなさそうだ。

 

 

だから。

だから、いまをめいっぱい、たのしもう。

 

彼は、味方でいてくれている、きっと。