誕生~高校時代

山梨の中でも僻地と呼ばれる、山に囲まれた村で生まれ、育ちました。



小さいころから祖父母の影響で、民謡を口ずさんでいたそうです歌う

5歳くらいのときは、カモメの水兵さんなど、レコードと一緒に歌って変な踊りをしていたのが記憶にあります。

このころから誰かを笑わせたり、楽しませることが好きでした
キラキラ

小学校一年になり、家で毎晩のようにカラオケで歌っていたのは、

坂本冬美の『あばれ太鼓』でした
太鼓



どうせ死ぬときゃ裸じゃないか~音符

わかっていたのか、いなかったのか・・・今に繋がっている気もします。

流行りの歌も好きで、CDと一緒によく歌っていました。

小学校4年か5年のとき、CMで聴いた曲に心惹かれました。

初めていい歌だな~と思って、母親に欲しいとお願いしました
CD

それが『なごり雪』です。その曲が入ったイルカのアルバム。


何回も何回も聴いていたので、今でも口ずさめますなごや

何年のときか忘れましたが、初めて作詞したのも小学生のときでした。

「青い空を見ていると 心も青く透き通る・・・」という感じの。

曲は妹が作ってくれました


歌も大好きでしたが、自然も大好きで、一人で山に登ったり、川のゴミ拾いをしたり、自然に遊んでもらっていました
春の木

そんな大好きな村の生活も、中学生まで。

なんせ山奥だったので、通える高校はひとつ。

半分以上の子は、高校進学と同時に村を離れるのです。。。

私も15歳で実家を離れ、下宿しながら高校へ通いました。

部屋での寂しい時間も、歌を聴いて歌うことで励まされていたな~と思います。

そのころはまっていたのは、Coccoゆずだったかな。

高校1年までは、教師になりたいと思っていましたが、知的障害のある方の施設でのボランティアをすることで、福祉関係の仕事をしたいと思うようになりました。

青年海外協力隊にも憧れ、福祉の学校に行こうとしていましたが、

「青年海外協力隊に行きたいのなら、看護師免許あった方がいいんじゃない?」という先生の軽い一言で、

またまた私も軽~く「そっか
電球」と思い、看護大学に行くことにしました。

そう、小さいころから何故か絶対になりたくないと思っていた看護師への道は、ここから始まったのでしたムンク

つづきは、私と歌のプロフィール②

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