東京で雪が降った日、 主人側の親戚にあたる方のお見舞いに行きました。 電車でガタゴト。 昼間に電話が鳴りました。 調子があまりよくないから、お見舞いに行って欲しいと。 義母が帰ってきてから、もう一度、病院名とか部屋番号を確認して、面会時間に何とか間に合いそうなので慌てて出掛けました。 

外は雪。雪が積もりませんようにと電車で向かった先の病院ではインフルエンザ流行の為、面会の制限をしていました。 面会時間もぎりぎりでしたが、何とか入れて貰えて少しほっとして病棟へ。

義母の不安げな顔を見守りながら、間近に迫る死に心配と不安と現実を受け入れることを見つめる。 昔、母方の祖父が入院したところにお見舞いにいったことを思い出す。 やせ細った体で横たわっていた姿。 話せなくなった祖父の手を握ったとき、ぎゅっと私の手を握り返してくれました。 あのときの手のぬくもりと伝わってきた思い。 そう、やせ細って今にもどこか消えていってしまいそうな姿、大好きな祖父の弱った姿を目の当たりにして動揺した。 そして、なぜ、もっと会いに来なかったのだろうと後悔した。

でも、ぎゅっと私の手を握り返してくれた手には沢山の優しさと愛が詰まっていた。 涙が溢れて止まらなかった。 元気になって欲しいと願わずには入られなかった。

そして、今、親戚ですが、肺炎で苦しんでいる年老いた姿を義母が受け入れるのはとても辛そうでした。お見舞いにいった時、心臓バクバクで息するのがやっと。 意識はないのに目は開いたまま。

とても優しいポエムを書くことが大好きで猫をこよなく愛する素敵な方。
3日間程、義母に付き添って病院に行きました。 主人もいける時、一緒に。 各々できることをする。(手足をさすったり、頭や顔に触れながら話しかけたり、フラワーレメディを使ったり) 皆の願いが届いたのか、一日一日と呼吸が楽になったように見えました。 家族で素直に喜びあいました。 何が良かったかはわからないけど、少しでも辛さが楽になってくれたら嬉しくて。 再び意識を取り戻してくれることを心のどこかでは願いながら・・・。 

そして、大雪が東京降り積もった日、静かに眠るように。。。息を引き取りました。

いのちと向き合うということ。 死と向き合うということ。
そしてそばにいる人の支えにどれだけなれたか。 できること、できないこと、セラピストとしてできること、足りないこと、できないこと、人としては?  

本当にささやかなことしかできなかったように思います。
ただ、受け止めるだけ、皆の気持ちをそのまま、ありのまま受け止めることが精一杯。 でも、気持ちは繋がって、絆が深まったようにも思います。

自分の未熟さを実感しつつ、 それでも今まで学んできたことで、死生観の捉え方はずいぶんと変わったと感じました。 葬儀は内々で執り行われました。 そういう時って何だか、優しさ、ぬくもりに触れたり、気づかせられたり・・・ですね。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。