おはようございます。お読みいただいて、とても嬉しいです。ありがとうございます。


私の師父がお坊さんになったいきさつから書かせていただきます。師父は立正大学仏教学部宗学科を卒業していました。お坊さんになるための大学です。太平洋戦争末期の学徒出陣によって、戦地に赴きました。


病にかかり、戦死せずにすみました。住まいは東京日本橋でしたが、色々ありまして千葉県市原市姉崎に移りすみました。


最初、お豆腐屋さんに勤めていました(市原市千種中学校で教員をしていたこともあったとのこと)


それから、配送関係の仕事(千葉そごうの商品配送)をしていました。


ある日、富津のお寺さまに荷物を配送しました。そこの奥さまが師父の幼なじみだったのです。ご縁が結ばれて、本山に修行に行き、僧員になりました。60歳位での修行ですから、大変だったと思います。


父が千葉県君津市のお寺さまに入寺しましたので、私だけ千葉県市原市姉崎の自宅に残されてしまいました。


環境が大きく変わったため、統合失調症を発症したと思っています。


父が始めから、お坊さんだったら仏教大学へ行っていたと思います。


最初、ご法話でとても苦労しました。範囲が広すぎて、テーマが絞り切れないのです。


やがて、ご法話の中心テーマを「日蓮大聖人の死生観」にいたしました。


ちょっと長いですが、大聖人のお言葉を引用させていただきます。


「それおもんみれば日蓮幼少の頃より仏法を学びそうらいしが、念願すらく人の寿命は、無常なり。いづる息は入る息を待つことなし。風の前の露なおたとえにあらず。かしこきもはかなきも、老いたるも若きも定めなき習いなり。さればまず臨終のことをなろうて、後に他事を習うべし」(お坊さんを辞めてから、約6年も経ちますので、不確かな部分もあるかもしれません。申し訳ございません)


明日と言う日が当然来ると人間、思っておりますが、1秒先もどうなるか分からないのです。まず、死について学び覚悟し、その後に他の物事を学びなさいと、宗祖・日蓮大聖人はお導き下さっております。


私が所属していました顕本法華宗は教主がお釈迦様、宗祖が日蓮大聖人、開祖が日什大正師の三聖です。


日蓮大聖人系の宗教教団は、微妙な所でみ教えが違います。沢山の教団があります。


自分の菩提寺さまが配布される布教誌を熟読されるのも、宗教に触れる良い機会です。


お寺さまの行事にご参加されている方は、最高です(^^)ご先祖さまもお喜びになられていることでしょう。


私も今一度、自分自身の死生観について想いを巡らしてみたいと思います。


最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました。時節柄、充分ご自愛下さいませ。