【奥行きに感じる「ノスタルジー」】

2024.05.30.Thu.

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先日
京都府宇治市にある
お茶と宇治のまち歴史公園“茶づな”
に伺った。



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「茶づなミュージアム」という、
お茶の歴史や
宇治市でのお茶と共に歩んできた歴史
など学ぶことができる場所(有料)があり
そこでの時間は
年齢を重ねてきたからこそ
味わえるものであったように思う。

 



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お茶といえば、
「茶摘」という歌だ。
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夏も近づく八十八夜 


野にも山にも若葉が茂る 


あれに見えるは茶摘じゃないか 


あかねだすきに菅の笠



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歌詞と共に浮かび上がる情景。

 

 


この曲を脳内再生すると
「あれに見えるは」
のところで毎回泣きそうになる。

泣きコードが入っているのかもしれないが、

この
「見えるは」
というところにも想いがのる。

 

 


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「見えるは」についての詳細については
stand.fm にて^^

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この歌詞に感じる「ノスタルジー」に
思いを馳せていると、
そういえばと思い出したのが

祖父母宅は昔、「お茶屋さん」を営んでいたこと。

「茶葉」を育て作っていたのは、遠縁の親戚で
祖父母宅へ行った際には
その親戚の家にも寄り、
縁側でお茶をいただいていたことを思い出す。

そして
祖父母宅の
お茶屋を営む店舗内に並んでいた
異なる名前がついたお茶袋や
茶堤。
贈答用の折られていない箱にのし紙。

また住居用の玄関には、
大量の茶葉が入った茶袋があり、

それを詰めて封をする機械が置かれ、
床にこぼれ落ちた茶葉たち
そのお茶の香りまでも
鮮明に目の前に思い出されてきた。

またこの「茶摘」の歌に
想いが乗る。

祖父母がいなくなった家の玄関には
茶葉の袋の形も香も
とうの昔にそこには「ない」。

だけど確実に「それ」は
私の目の前に「ある」と感じる。

「それ」が私の「奥行き」にあるのだ。

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今、学びを続けている「空間認識」では
このあたりの意識構造や
空間・時間がどのように目の前にあるのかが
わかるようになるはずだ。

私の体験と重ねて
言語化できるようになりたい。

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目の前にそれらが顕在化した時
私の今まで見てきた全ての景色が
また鮮やかに立ち上がってくるだろう。

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「空間認識」の学びの
途中シェアを
stand . fm のメンバーシップにて行なっています。
月額1,000円

いくつか無料で聴ける放送も交えていますので
是非🫶

 

 


お待ちしております^^

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