これについて、一つずつ記していきます。

 

 

 

 

6月22日、23日は、

大人の農業合宿 山形

 

に参加してきました!!

 

 

お世話になっている 宮島先生と

自然農法で農業を営んでおられる 中川吉右衛門さんのインスタライブを拝聴したのが、

2年前の4月。

 

人生の変換点の1つは間違いなく、この時で、

あの時受けた衝撃と、心の震えは今でも覚えていて、

私の苦悩が始まった瞬間だった。

 

 

自然農法を語る吉右衛門さんから熱く語られた

「自分の在り方が全て」「良いも悪いもない」

そのお話が私にとってはフックになった。

 

 

 

私の拙い語彙力では語れないのがもどかしいけど、

なんとか頑張って言語化してみる。

 

 

 

「私という存在に自信のない状態だった」というよりは、

「私がこのまま立つ、ということに許可が下せない状態」と言った方がいいのかな

 

だから、「自分の在り方が全て」と言われると、

 

何にもない私は、何にも勝負できない。とか(←勝負する必要もないんだけど)

 

この状態で何を創造してもチープにしかならない、とか。

 

「自分の在り方」の前提の「自分」に対して空っぽの筒のように感じていた私は、

 

今のままでは、どうしようもできないな、って降参するしかなかったんよね。

 

 

 

 

今こうやって書いていて思ったけど、

 

この当時、ゴム紐なし商品を企画販売したい、と思って、色々動いていた時期だったんだけど、

 

どんなに良いものを作っても、売りたい、っていう衝動が出てこなかったんだよね。

(それは今でも、だけど。)

 

何でかな、と思ってたけど、「あぁ、そっか。」ってなった。

 

 

 

あとは、そのゴム紐なしの商品を作り出したときは、

 

「ゴム紐は絶対的に良くない!!」って思って、

そう思って必要な人に届くようにって、商品を開発してたんだよね。

 

 

吉右衛門さんも、宮島先生と出会う前は、

 

「農薬を使った農作物はだめだ!!」ってやってたんだけど、

 

片方を否定することで、もう片方を肯定している状態に対して、

 

宮島先生から全否定されて、

 

その中で、想像もできないほど色んな思考を巡らせて体験を通して

 

「良いも悪いもない」というところにと着地されてる。

 

 

宮島先生に出会ってからのこの2年、私も

「全てにおいて良いも悪いもない」ということについて、

随分向き合ってきた。

 

吉右衛門さんが語る「良いも悪いもない」に衝撃を受けたのは、

一番こだわっていたであろうことに対して

「良いも悪いもない」と着地されていることだった。

吉右衛門さんがやっていることの根幹であることを、一度ひっくり返して、

それで「あ、そうか」と着地できてることに、

「なぜそうなれるんだろう?」って。

 

 

自分にとって、そんなに順序が高く無いことについては、

「良いも悪いもない」って思うことの練習って簡単にできたんだよね。

 

でも、その時「これだ!!!」って思って取り組んでいた「ゴム紐なし商品」について

「良いも悪いもない」って、なると、

どうやって勝負すれば良いのか、

 

そして、そこに対して「私の在り方」はどうあれば良いのか??

 

それまでの自分が、いかに、良い悪いの判断で選択してきたか、

そんなことを嫌というほど突きつけられた1年。

 

1年経った頃には、

あの時のインスタライブで私のフックになったことは、

何となくわかるようになった。

 

振り返っても、結構もがいていたように思う。

でも、一つずつ、一つずつ。

ちょっとずつやり続けてきた。

 

あの時に、フックが掛からなければ、

確実に今の私はない。

 

だから、そんな変換点のキッカケを下さった

吉右衛門さんに直接お会いしてお礼が言いたい

 

吉右衛門さんの在り方が詰まっている田んぼたちに会いたい

 

その想いが強くて、

合宿に参加を希望したのでした!

 

 

続く(多分^^;)