こんにちは。
SMILE LABO のミキです。
stand. fm更新しました。
1ヶ月以上ぶり。
言葉が紡ぎ出せない感覚があって、
それについてお話しました。
こんな風にアウトプットすると、
ちゃんと降りてくる、次の感覚。
それは、
今の状態も、とても愛おしい状態だということ。
ラジオでお話したのは、
今の視座とは異なる視座を欲していて、
その視座からの私の言葉で、何か伝えたいことがあるということ。
それは何かはわからないんだけど、
だけど、
その視座から何か伝えたいことがある。伝えたいんだ。
という欲求があることを認識しただけで、
心がものすごく震えるからだ。
その視座の感覚を手に入れたくて、
この数週間前は、とても焦っていたりもした。
だけど、手に入れたいと思えば思うほど、
手に入れられなくて、
遠ざかってしまうことはよく知っている。
きっと、本当に必要ならば、
必要なタイミングできっとその視座の感覚を体感できるはずだ。
そこに対しての信頼はある。
だけど、
ついさっき降りてきたのは、
その視座を手に入れていない、今の状態も、
とても愛おしい状態なんだ、
という気付き。
その視座を手に入れることが良いことで、
手に入れていない状態が悪いこと、という認識は持っていない。
単に、その状態を欲しているだけだ。
例えば、
沖縄の青い海を見たい!泳ぎたい!
という欲求と変わらない。
良い悪いからは基本的に卒業した意識はある。
だけど、
その視座が欲しい、という気持ちが先行しすぎて、
今の状態に対しての愛おしさを感じることはなかったな、と思った。
子どものヨチヨチ歩きの状態や
拙い言葉の発音だった時期が愛おしく感じるように、
スタスタ歩けるようになったり、
ぺらぺらしゃべるようになってからは、
絶対に戻れない感覚なのだ。
こんな状態の時があった、という認識はできるのかもしれない、
だけど、
新しい視座を体感してしまったら、
絶対に今の何も知らないこの状態のことや
今のこの状態で触れる感覚は
思い出せない。味わえないはずだ。
そう思うと、
今だけかもしれないこの感覚を味わい尽くすことも、
全く悪くないし、むしろ愛おしい時間になるはずだ。
オセロを一つずつひっくり返す行為は、
私の今に対しての愛おしさを味わう機会になるのだろう。
それならば焦る必要もなく、
ただただ、全てを信頼して進めていこうと思う。