いろんな気付きが日々ある。

 

その気づきは何故今なのか?

なぜその人を用意したのか?

 

少しまえにこんな 言葉に出会った。

 

「弟子に準備ができたとき、師が現れる」

※下にもう少し長い文章を引用しました。

 

 

この言葉に出会ったとき、

今までの自分の経験から、

その通りだなと思ったし、

 

また自分のこれからについても、きっとそういうことだな、と思った。

 

「弟子」「師」

 

「師」は、人であったり、書籍であったり、ものであったり、なんにでもなり得る。

 

 

今回、私は、

「丁寧」というエネルギーの美しさに触れることができた。

 

それは、私の準備が整っていたから受け取れたものであり、

 

今までの準備が整っていないときには、スルーしていたものだ。

きっと、世の中にはすでに「丁寧」のエネルギーに溢れていたはずだ。

 

 

私は、この数か月で沢山の出会いがあった。

 

そして、その中で、自分の出会いたかった情報に出会ってきた。

 

 

でも、それは準備ができている、という前提があるからだ。

 

準備がないときには、

 

出会わない、または出会っていてもスルーする、

または、出会う状況にあってもニアミスする状況ができる。

 

 

これは私の経験で。

 

インスタライブで、

 

とても興味深い話をされていても、

 

今の私が受け取る準備ができておらず、

そして、今私が受け取ってしまうと、誤反応してしまうだろう、というときは、

 

インスタライブ中に

 

画面がとまったりして、何かしら聞けないようにさせる。

 

 

それは、電波が悪いとかそういうわけではない。

 

電波が良い時には、

 

いつも、こんなことないやん?!!

というタイミングで、邪魔が入るのだ。

 

それは、なかなか面白いことで、

 

またか(笑)

 

と、楽しんでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「弟子に準備ができたとき、師が現れる」については、

様々な考察があるので、

それらについては回をわけて記していきたいと思う。

 

 

 

 

こちらは、一緒に読んで頂きたいです。

私にとっては、とても大事だと思っていることをお伝えしています。

 

 

 

 

「弟子に準備ができたとき、師が現れる」

 

準備ができていなければ、

そこに師がいても気づかず、応じることもない。

 

ダイヤモンドがどんなものか知らなければ、

すぐそばにあろうと気にもとめずに通りすぎ、

ただのガラスのかけらと思うだろう。

 

さらには、違いを知らなければ、

ガラスのかけらを手にとりダイヤモンドと思いこみ、

生涯大切にし続けることになる。

 

探求を続ける間、

生徒はサハジャ・バーヴァ(瞬時の直観)を無視して理性的になりすぎるか、

逆に理性を無視して感情的になりすぎることがある。

 

感情の高まりは理性の高まりと等しく危険であり、いずれもエゴを助長させる。

 

修養を信じない者は覚醒を期待すべきではない。

ただ欲しがるからといって、

与えることのできる師も、与えようという師もいない。

 

真の霊性の師、伝統に続き教えを授ける役割を与えられた師は、

良い生徒を探し求める。

 

何らかの印や兆候を探り、

誰の準備が整っているか知ろうとする。

 

どんな生徒も師をだますことはできない。

 

師は、生徒がどこまで準備できているかたやすく察する。

 

準備ができていないと分かれば、その生徒に徐々により高次の教えの準備をしていく。

 

生徒の火芯とオイルが正しく準備されたなら、師がランプの火をともす。

それが師の役割だ。

 

そうしてともった炎は神である。

 

誰が自分を導くかは心配することではない。

大切な問いは、私には導かれる準備ができているか、だ。

 

師が教える方法には様々であり、ときには謎めいている。

 

言葉やふるまいをつうじて教えもするがーー場合によっては、

まったく言葉でのコミュニケーションなしに伝える。

 

よく思ったものだ。

最も重要な教えは、直観にその源があり、

言葉によるコミュニケーションの力をも超える。

 

愛とともに、この世での責務を行うことだ。

それのみが、覚醒の道での前進に大きく貢献することになる。

事実、導き助ける者は必要だ。

 

外界でのグル(師)を、自らの内なるグルに達する手段として要する。

利己心から「私にグルは必要ない」と思うこともあるかもしれない。

それはエゴの声だ。

 

飼いならさねばならない。

(ヒマラヤ聖者とともにー偉大なる霊性の師と過ごした日々 スワミ・ラーマ)