こんにちは。

 

ゴム紐なし商品 Creator 

SMILE LABO 所長の MIKI です。

 

 

 

 

 
子どもたちの、
小学校や幼稚園の冬休みが終わり、
 
 
ようやくちょっと自分時間を確保ニコニコ
 
 
今年は、こうやってブログを書くことも、
 
お仕事を進めることも、
 
 
いい塩梅で進めていけるといいなぁ。
 
 
 
さて。
 
前回、ヒモトレについて書きました。
 
 

 
その中で、
 

 

「わからないことを許可する」ってことを、

 

教えてくれたのは、「ひもトレ」がキッカケだったような気がします。

 

 

 

 

と記載しました。

 

 

今日はそのことについて

もう少し詳しく

書きたいと思います。

 

 

 

今までの

私は何かにつけて、

 

モノゴトに対して理由を探して納得していた。

 

 

すべてのモノゴトが、理由があって存在し、

過程があって結果がある。

 

だから、その過程に対して理(ことわり)があるのだと。

 

 

 

 

カラダについて学んでいたときに、

 

 

ひとつの事象に対しての、

原因となることを理屈立てて教えてもらった。

 

 

もちろん、それはそれで納得する。

と同時に

 

じゃあこれは?と更に新しく興味が湧く。

 

 

 

 

 

 

ヒモトレに関しても、

 

 

紐を巻いただけで、

 

カラダがいい塩梅で使えるようになるのは、

 

 

カラダの固有受容覚に触れるからだろう、

 

 

とか、

 

自分の知ってる知識を持って

理解しようとしてきました。

 

 

 

 

だけど、

 

ヒモトレの不思議なところは、

 

 

例えば、

 

ここにも記載されていますが、

 

 
 
 

 

ヒモトレには、

 

 

平紐ではダメで、丸紐、

しかも太さは

これぐらいの方がいい。

 

 

とか。

わけがわからない。

 

 

だけど、カラダはそのように反応する。

 

 

 

 

これはね、

 

なんでかわからないけど

そうなんだ。

 

 

としか言いようがない。

 

 

丸紐の方が、平紐よりも

圧力がどうこうとか、

関係のないレベルの緩さで

紐を巻く。

 

 

 

 

それなのに、

 

カラダは、丸紐だと、

 

ヒモを巻かれていると認識してくれるんだ、

 

ってこと。

 

 

 

わからないけど、

 

 

が多いけど、

 

なぜなのかは、科学でもわからないと思う。

 

 

 

 

 

私にとって、

 

この

 

わからないけど、そうなんだ。

 

わからないけど、そうゆうこともあるんだ。

 

 

ってことを受け入れることができたことは、

ものすごく大きかった。

 

 

 

 

 

わからないし、科学でも証明しようがないけど、

 

カラダは好んでる。

 

 

カラダが、ラクだと言ってる。

 

 

それならそれでいいやん、と。

 

 

 

 

 

それまでの私は、

 

カラダのことだけでなく、

 

 

何故、あの人はこう言ったのか。

 

何故、子どもはこんなことをするのか。

 

 

何故、何故?

 

 

と様々なことにおいて

 

理論的に、

ロジカルに解決しようと、してきた。

 

 

 

自分を納得させるために、が大きな理由だろう。

 

 

 

 

わからないことを受け入れ難かったのだ。

 

 

 


だけど、ロジカルに考えて

答えを導き出していたとしても、

 

 

 

それは、

 

他人であれば勝手に

 

自分の都合の良い形に、

 

ジャッジをしてきたことになる。

 

 

 

 

自分の範疇に納めたい。

 

自分の理解できることばかりにしたい。

 

わからないことなんてない。

 

 

 

 

コントロールとジャッジだ。

 

 

 

 

なんでこんなことをしたんだろう。

 

ではなくて、

 

 

今、この状態がある、という事実。

 

 

今、こういう感情がある、という事実。

 

 

それならそれでいいんじゃないのか、

 

ってこと。

 

 

そして、他人のことはわかりもしないし、

 

今、こうなのね、

 

以上まる。

 

 

 

 

 

 

私に「わからない」モノなんて

世の中には溢れていて、

 

 

 

別に

理解しよう、

説明しよう、なんて思わなくてもいいんだ。

 

 

 

 

「わからない」けど、

全然オッケー👌

 

 

を許可したら、

 

私の世界に「わからない」けど、

こういう現実世界があるのね、

 

ってことが沢山現れ始めた。

 

 

 

 

 

元から存在していたんだけど、

 

「私」の世界には

 

登場してこなかったモノ、ヒト、コト、

 

が、視界に入るようになった。

 

 

 

説明はつかなくても、

 

確かに「ある」

 

その事実が「存在する」ということは、

 

 

数学でいうと、

 

条件が

 

 が 

 

に変わったぐらい、

 
ものすごい大きいことでした。
 
 
 
だから、今の私がある。
 
ヒモトレに出会ったことは、
そういう意味でも、本当にありがたいことでした。