先日、keyリーディングを受けて下さった【artist☆YUKA☆】さんの感想

YUCCAさんで、活動していらっしゃったのですが、今後はYUKAさんになるそうですよ。
新たな道の始まりですね。
シェアを了承してくださって、ありがとうございます!
とっても、たくさんの思い、そのままアップさせてくださいね。


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kaworiさんへ

感想です^^

先日は、ほんとうにありがとうございました☆。。☆。。☆。。

keyリーディングをしてもらって、ものすごいボディブローをもらった感じでした。

すごい長い時間、もう、何度も何度も、言い聞かせられて、頭にねじ込められた感じでした。笑。

たくさんたくさん、伝えてくれて、
もう、頭が一杯になったかと思いましたが、家に帰って、ことあるごとに、
あの「強いメッセージ」がよみがえってきて、「ああ、そうか」「そういうことか」と、気づかせてもらってます。

数日経っても、こんなに言葉と伝えられたメッセージがはっきりと思い出されるのは、わたしにしてはとてもめずらしいことです。

ものすごい、力強いメッセージでした。
長年、気にしていた、姉妹のこと、が、今の私の問題には、「関係ない」ということが、わかって、肩透かしもらったみたいな気分と、ちょっとほっとし、安心しました。

もう、今までの生きてきた中で、思い出を「全部背負ってる」気分になることがありましたが、それは、もう「過去のこと」と、ほっとしました。

自分が心配性なことと、何も知らないうちに、自分からいろいろ考えて、結局、いろんな人から離れようとしていたこと。

なんとなくわかっていたけど、やっぱりか~、と。
そして、「上の人」が言ってくださってるのなら、もう観念するしかないな、と思いました。

私が一回では言うこと聞かないことがわかってるようで、
何度も何度も、頭が痛くなるくらい、言い聞かせられました。笑。

そのおかげで、数日経っても、はっきりとメッセージを思い出しますし、すごく強いメッセージとして心に刻まれました。

夫はほんとうは怒りたいんじゃなくて、
自分も自分のこと、情けないとか、なにやってるんだろうと、思ってるってこと、再確認。
自分を大切にしたら、夫も幸せになれるってこと。

夫や子どもをもっと怒りなさい!と何度も何度も言われました。
夫を甘やかしちゃいけない、とも。

そうです。わたしは、だめ、と言えない人。ノーといえない人。

でも、だめ、ノーという必要もないと思っていました。
いままで、怒るという行為は、必要のないこと、と考えたい田と同時に、「怒る」という行為がこわくて、いやで、する意味がわからなかったのです。

kaworiさんに、言われてからも、数日、どうしても、「怒る」はできないと思ってました。

でも、怒る、は結果的に「怒る」になるかもしれないだけで、「怒る」は「戦い」じゃないことに気がつきました。

わたしは、コミュニケーションの問題、が、あると同時に、「伝える」ということが、苦手でした。

気持ちいい、うれしい、楽しい、を伝えるのは、わたしにとって、とても、楽で心地よいものでした。

でも、しんどい、つらい、いやだ、痛い、悲しい、は、伝えるのがむずかしいと強く感じていました。

自分を「出してはいけない」と感じていました。
自分が「身を引く」ことで、周囲が、「しあわせになる」と思っていました。
どうしてそんなふうに思っていたかというと、
幼少期から思春期にかけての、衝撃的な経験があってという影響が強いと思っていました。

たしかに、それは関係あるところはすこしあるだろうけれど、
自分自身にそもそも持っていた素質、が、
環境によって、あらわれただけ、ということも、kaworiさん、伝えてくれたように覚えてます。

今のわたしの問題は、姉妹のことは、関係ない、と。
だから、手放そう。
姉妹のこと。いつまでも、心配すること。どうにかしてあげたい、と思うこと。
必要があって、そういう状況にあるということ。
それを、受け入れようと思う。
自分が、そうであるように。姉妹もそうである。両親もそうである。
必要があって、いま、こういう状況だって事。

自分が、引き寄せた、招きいれた、ってこと、と、kaworiさんは 伝えてくれたように覚えてます。

両親がいま、苦しんでるのも、姉妹が、いま、苦しんでる事も。
だから、「わたしが」なんとかしようとするのは、お門違いだし、意味がないって事。
だれかのために生きる、てことに、わたしのアイデンティティがあったように思います。

だれかのために、役に立っている、ためになっている、そういう思いが、わたしを、元気づけてくれていたように思います。

でも、それが、なくなったときに、わたしは、とても「弱い」と感じます。

私は、何の役にも立たない、と。
でも、「誰に認められなくてもいいじゃない」という、kaworiさんの言葉に、「そうなんだよな、そうなんだけど、、」と、自分が、何者でもない、と知る不安を、すぐには手放すことは出来ませんでした。
そうです。

自分が、「何者でもない」という不安は、わたしにとって、とんでもなく、不安なのです。

周りの人間に「認めてもらえる」ということが、わたしにとって、とても重要でした。

でも、それは、夫と同じ。
夫も、「認めてもらう」ために、「わたしのため」に、「こどもために」「両親のために」ひとのために、 いっぱいいろんなことをするんだ。できるんだ。

でも、わたしにしては、それは、「そんなことしてもらいたいんじゃないのにな。。」ということなのだ。

ただ、ただ、私を「認めてほし」かった。
ただ、ただ、「何も作りださない」「なにも、表現しない」「なにもしない」自分、で
「いていい」と、
「認めてほしかった」んだ。
それは、夫も、私も同じなんだ。
でも、お互い、「認める」方法が、てんでばらばら。
ほんとうのお互いの気持ちをすり抜けちゃってた。
「夫婦は合わせ鏡だから」というkaworiさんの言葉に、わたしたちが、まだ、一緒にいることの意味を感じた。
わたしたちは、一度、危機に落ち入り、別れても良い状況にもなったけれど、それでも、これでも、ずっと、いっしょにいるんだ、お互いに、必要があっているんだ、ということ。
しっかりと心に刻みなおしました。

なんでか、いっしょにいる。
なんでか、お互い、助けになっている。
それが、いままで、あやふやな感じで、なんだか、必要なんだけど、言葉にならずにいたんだけど、
それを、kaworiさんのことばで、はっきり、「認識」できたと感じます。
コミュニケーションが苦手な私だけど、夫婦として、お互いに、認め合うこと、ただそのままで良いこと、ただ、ありのままでよいこと、それを、認めるだけで、これからは、周りの人間にも、良いも悪いも、感情を、ただ、伝えられることが、できるような気がしてきました。

形にこだわる、という部分が強い、とも言われました。
それは、親しい人たちには以前から言われていたことでした。
これはこうあるべきだ、こうするべきだ、こうしなきゃ。と、かたちにこだわって。。
もう、おんなじこと、ですね。

ありのままの自分を認めたら、もう、周りのこと、気にしなくていいんだよね。
自分の結果がどうのこうの、気にしなくていいんだよね。

自分の、ありのままでいること、で、人や自分を認められて、お互い、「ちがう」ということを、受け入れられるんだよね。

結果や、形にこだわることなく。

べつに「認められなくてもいいじゃない」。

みんなちがうにんげんなんだから。

いろんな感じ方があっていいじゃない。

でも、だからって、その人を批判したり、非難したりする理由にはならないよ。

お互い、ちがっていいんだから。

でも。だから、嫌いな人の事も、認められる。

いやな自分の部分も、認めてあげられる。

それは、「あって当たり前」なんだもの。

あるがまま、である、ってことなんだもの。



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心にある苦しいもの、
重いもの
本当はその荷物の降ろしかたを知っているはずなんだけどね。

たくさんの優しさを知っている分
辛さを共有することが
相手を傷つけてしまうかもと思っていただけでね、
辛さも悲しみも、
誰かを救う優しさの手だと気がついてほしいと思いましたよ。

貴女しか伝えることの出来ない優しさを、
これから多くの子ども達に伝えてくださいね。
子どもと、とっても繋がっていくYUKAさんですからね。
これから地球にくる子どもたちは、とても純粋なエネルギーをもって、うまれてくるのだそうですよ。

貴女の笑顔と
貴女の優しい声を、待っている多くの子ども達がみえていますよ・・・。

YUKAさんの描く天使ちゃんたちがいつでも、見守っていますからね。

私も見ていますからね。

ね。




幸せの連鎖は永遠に。

感謝kawori