は〜いこんにちは!
海外旅行ブログになりつつあるが、これは私の生き様を綴るために
書き留めて日記のようなものだ。
現在の私は、約13年の会社員生活で積み上げてきたものが
ある1人の男によって、大きく崩されてしまい、そこから這い上がってる最中だ。
なんとく、高校を卒業し、勉強が嫌いという理由
それと、親元を離れたいという理由で高校卒業後は就職する選択肢しか持ち寄せていなかった。
それが10代の頃の私だ。
強いて欲を言うならば、せっかく就職するなら、日本人なら誰でも知るような企業に就職すること!
→東京で生活したい! → 東京の有名企業だ!!!
いくら優秀な大学を卒業しようが、売れない芸人や売れないバンドマン
大企業に入社できず就活に苦しむ大学生もいる。
ブラック企業に勤め精神をすり減らす人もいることを、なんとなく想像した上で
そうならないような、楽で良い生活をしたい!
その程度だった。
そんな私は、順当に歴史ある日経の上場企業に入社した。
同期は、1200〜1300人程度だったと記憶している。
入社後、東京ではない地方の配属となった。
知人も誰1人いない。
街灯が少なく、野犬が出るド田舎!
当時、PCのインターネットすら標準ではない環境。
最寄り駅は、徒歩1時間以上。
もちろん、当時車を買う金もなかった。
そんなところに配属され、「東京配属」という新たな目標ができた。
ホームシックではないが、あまりにやることが無さ過ぎて、ストレスを抱えた。
ニキビができ、配属後1週間でなぜか体重が8kg増えた。
この体重は、生涯でMAXの体重だ。
転勤するために、各先輩に意見を求め
新入社員では、そんな願いが叶わないことを理解し納得はいかないもののこれが社会人なのかと
数年後、転勤できるその時が来るのを待つことにした。
東日本大震災を経験
会社に大きなダメージ。
ここから、年収が20%カットされ、私は退職した時も年収が5%カットされたままだった。
さらに、転勤の選択肢まで消えた。
2011年3月11日、この日は、夜勤明けで当日夜勤かつ
翌週から、東京への転勤を企て、2週間東京で研修を受ける予定だった。
自分の環境では、誰に頼もうが転勤が出来ないということがわかったからこそ
他の上司に相談しつつ、誰もあまり見ないイントラ(社内情報共有システム)を駆使してひっそりと行動していた。
それが、実らなかった瞬間が、東日本大震災だった。
何かを成し得た訳ではないが、大人はただ話を聞くだけ!
表面上では、なんとかする。
といいつつも、本気で行動する人はいないことを学んでいたが、東日本大震災は「東京転勤」までさらに遠のいた瞬間だった。
会社員なんだから!
サラリーマンなんだから!
若い頃、よう上司に言われました。
言われことを、「はい。」と言っておけば良いと!
ただ、これだけは言っておく。
私は、職場の同僚や上司にすごく可愛がられていた!
自分の意見をはっきり言う性格なので、私のことを嫌う上司もいて、パワハラも何度か経験した。
ただ、そんな状況でも必ず、沢山の人が力になってくれた恩は忘れてはいない。
震災をきっかけに、転勤が頻繁にあり
会社の新たな改革により、理不尽であろうような業務も沢山あった。
ただ、一つ
自分の人生を考えた時に「サラリーマンなんだから」という理由で、人生の大半を無駄にしたくない!
むしろ、この言葉をよく口にしていた人のようにはなりたくなかった。
一緒にしないでほしかったのが本音であり
お前なんか、ただ自分より10年以上早く生まれただけで、仕事ができる訳でもなんでもないぞ!と
結果的に社内外で行動力が増した。
退職し、独立する準備をしつつも
この会社で、経験できること経験しよう!
現場に降りる話ではなく、会社全体がどのような方針、どんな事業プランを考え、今後どこを目指すのか!?
10年近く勤めた会社なんだから、せめてこれが分かるポジションが良いよね?
自分の会社のことを知らないより、知ってる方がよくない?
と思い、発信し行動した。
自分のグループから嫌われたが、他のグループのみんなが仲間に!
成果も現れ、当時2人の上司のポジションを奪う結果になった。
決して仕事が出来た訳ではないが、コミュニケーションを円滑に仕事をやりやすい環境を整えただけ!
今までの先輩の理不尽な教えや、やり方などを理論的に意味がないと発信し
時間の無駄、無駄なことに時間割いて忙しいアピールするな!と
一番ペーペーな私は、これを出向先で生意気ながら発言し、出向先やその関連会社の方から共感を得た。
これにより、社内の課題がいくつも解決され、後に東京への転勤の架け橋になった。
ここまで、約9年!
出向し2ヶ月たたず 本社へ異動(期間:半年) →別の現場へ出向(3ヶ月) → 別会社へ出向
すごくざっくりだが、こんな形で会社員後半のキャリアを積んだ。
9年目→10年目 は、6回or7回/年 昇給した。
もう勝手に昇給して、給与明細を見るほど余裕なくなっていたので、はっきり覚えていないが懐かしい。
サラリーマン編は、一旦ここまで。
ここだけ見ると、順風満帆そうだなと!
ただ、キャリアや順風満帆そうな人生なんか、何の意味もない。
ただ、年を重ねているだけ。
一番怖いのは、その現状に満足して、日々当たり前のように過ごしていること
そして、歳を重ねても「幸せ」じゃないことだ。
もっと、身の回りの当たり前のことに気づくことが大事。
家族との時間
素敵な景色を見るとか、、、
まったく育った環境と違う人と、コミュニケーションをとるとか、、、
それらは、地元や職場、日本だけで考えるのではなく
本当に日常の些細なことでも「幸せ」と感じられることが多い
そんな人生の方がいいと思いませんか?
歳を重ね、以前できなかったことが出来るようになります。
しかし、やがてそれすら出来なくなります。
そして、こう思う
「もっと、あの時、こうすればよかった。」
「幸せ」と思い込むのではなく、「幸せ」と感じるような人生なら
歳を重ねる毎に、少年のように!!!
いや!!!
夢見る少女のように!!!
今よりもっと多くの夢や目標をもち、その過程で新たな出逢いや経験を重ね
やがてもっと、大きな夢や目標を持つ!
それに伴い、また新たな出逢いがあり、もっと沢山のことを経験して沢山の願いが叶うだろう。
私が海外に行くようになったのも、自分自身の「幸せ」
そして、また新たな環境での出逢いから、サラリーマンの頃には想像もできなかったような人生を切り拓ける!
その未来の「幸せ」のために!
こんだけ長々書いたので、打ち間違え多そうやな。
なるべく、少ないことを願うw
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